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約束 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

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「大きくなったら、一緒に富士山のぼろ~ね!約束だよ!! ♪指きりげんまん、うそついたらはり千本飲~ます!」
この場所に立って富士山を眺めると、僕はいつも、そう歌っていた彼女のあどけない笑顔を思い出す。

安藤広重もその著作の中で描いたといわれる景勝地、薩多峠(さったとうげ)から眺める富士山は、12月の澄み渡った空の下、駿河湾の遥か彼方にその威容を示していた。
見上げると、どこから来たのか、空には一羽の白い鳥が舞っている。
富士山を眺望できる場所はいろいろあるけれど、ここから眺める富士山が一番きれいだと僕、いや「僕たち」は思う。

ふと、自分の顔にわずかな翳りが見えそうになるのを必死に隠しながら、僕は傍らに立つ志穂に笑いかけた。今日の青空を映し出したような大きな瞳をくるくるさせながら、彼女もまた僕に微笑みかけてくる。

志穂とこの場所に来るのは、もうこれで3回目だ。これといってめぼしい観光スポットがあるわけでもない、あるものと言えば、ミカン畑と遠くに見える富士山だけというこんなさびれた場所になぜ、好き好んで何回も来るのか、彼女はその訳を聞こうともせず、いつも黙って僕についてきてくれた。

「あれが富士山…やっぱり高いね。圭一くん、私たち、あそこに登ったら本当に幸せになれるのかな…」
志穂がこう言うのを聞いて、突如僕の中に古い記憶の傷が、痛みを伴ってよみがえってきた。


……今はもう遠い昔、僕は少女と淡い約束を交わした。
少女は生まれついての難病を患っており、同じように体の弱かった僕と病院の同室だった。
ある時、彼女が母親からもらったという本を見せてもらうと、そこには鮮やかな色彩で川や海などが描かれていた。それが安藤広重の書いた「東海道五十三次」である事を知るのはもっと後になってからだったが、それでもどの絵にも大きな富士山が描かれているのは、幼い僕にも分った。
「わたしね、この絵が好き。けーくん、『さった峠』って知ってる?」
そう言って見せてくれた本の1ページには、山と、海と、そしてその海の遥か彼方に大きな富士山がそびえ立っていた。どうやらそれが薩多峠と呼ばれる景勝地らしかったが、幼い僕にはそんなことが分かる筈もなく、それでも生まれて初めて抱いた恋心と呼ぶにはまだ遠い、気持ちの高まりを押さえようとするかのように、わざとぶっきらぼうに
「知ってるよ!そのくらい。当然だろ!」と知ったかぶりをしていた。

そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は僕のベッドにもぐりこんできて、
「わたしね、この絵が好き。富士山っていろんな所から見えるでしょ。ほら、この病院の屋上からも。でもわたしね、この薩多峠から見る富士山が一番きれいな気がするんだ…」
と囁くようにつぶやいた。確かにこの病院の屋上からも晴れた日には遠くに富士山が浮かんで見えた。でも彼女が言うように、この絵に映る富士山は、他のどの場所から見える富士山よりもきれいな気がした。幼い年齢でそんなたくさんの場所に行ったことはなかったけれど、彼女が言うと確かにそんな気がした。

「ねえねえ、おっきくなったら、一緒に富士山に登らない?」
同じベッドにもぐりこんだまま、彼女が僕の耳元でそう囁いた。
「わたしたちさ、生まれつき体が弱いじゃない?だから友達もできないし、いつも一人ぼっちだし、一人じゃ何もできないんじゃないかなあって悲しくなる時があるの。でもね、もしけーくんと一緒に富士山に登ることができたら、きっと幸せになれるんじゃないかなって思うの。ね!約束しよ!!はい、指きりね! ♪指きりげんまん、うそついたらはり千本飲~ます!」
彼女の突然の提案になのか、それとも彼女を思いの外、近くに感じたからなのか分からなかったけれど、僕は胸をドキドキさせながら指きりをした後、また、わざとぶっきらぼうに
「そんなのわかんね~よ!それに俺そんな弱くね~し。ほら、いつまでここにいるんだよ!看護婦さんにまた叱られるぞ!」と怒ったように言ってそっぽを向いた。

彼女はちょっと悲しそうな顔をして自分のベッドに戻ったが、それでも布団から首だけだして、ニコっと笑いながらもう一度「約束したからね!」と言った。


…………だが、約束は果たせなかった。
その晩、容態が急変した彼女は集中治療室に運ばれ、その10日後、息を引き取ったという話を僕は看護婦さんから聞かされた。
幼い僕には、恋とか、愛とか、そして死だとかいうことがどういうものなのか、全く理解できていなかったけれど、それでも「喪失」という2文字は僕の胸に深く突き刺さっていた。彼女が息を引き取ったその晩、僕は生れて初めて、自分のためではなく、他人のために、彼女の喪失を想って、泣いた。


……それからおよそ20年の後、僕は三度、彼女との約束の地に立っていた。
小さい頃弱かった体は、今では風邪さえ引くことも殆どなくなった。
来年の夏、「僕たち」は初めて富士山に登る。志穂にはまだ本当の理由を話していない。

それでも。ふと、彼女は何もかも知っているのではないかと、思うことがある。
志穂と似た名前の少女と、幼い頃淡い約束を交わしたこと。
その約束を僕は果たすことができなかったこと。
志穂が少女と同じような境遇に生まれ、同じように富士山に登って幸せになりたいと願っていること。
そして……
僕が志穂のことを少女の生まれ代わりのように感じていること。

そんなことをぼーっと考えながら、顔を上げた時、突然強い山風が吹きつけてきた。
志穂が足元を取られ、倒れそうになったので、僕は慌てて手を引き、思いがけず彼女の瞳を真正面から見つめることになった。
その瞳の中に遠くに浮かぶ富士山が映っているのを見た瞬間、僕は気付いた。

違う。僕は過去に生きてはいけないんだ。
志穂は他の誰でもない、志穂自身であって、誰の生まれ代わりでもない。
他の誰でもない、志穂だからこそ、僕は彼女を愛しているんじゃないか。
そして、他の誰でもない僕と志穂との幸せのために、僕たちは富士山に登るんだ。

僕たちの運命は、過去にも未来にもない、今この時にしか存在しないのだ、ということを遥か悠久の時を越えてきた不死の山、富士山が教えてくれているような気がした。

僕は志穂の手を強く握って、「来年の夏、一緒に富士山に登ろう。そして、僕たち一緒に幸せになろうね。約束だよ……」とつぶやいた。
志穂は少し戸惑いながらも、こくんとうなずいた。

握った手を離さずに、僕たちは一つになった二つの手を前に差し出した。まるで、富士山が僕たちの手の中にあることを示すかのように。それは、どんな困難も乗り越えて見せるという僕と志穂との強い意志の表れだったのかも知れない。

どこまでも青い空、そこを舞っていた一羽の鳥はいつの間にか姿を消していた…
ふと、別れを告げるかのような甲高い鳴き声が聞こえた気がしたが、それは眼下を走る貨物列車の鳴らした長い汽笛だった……



[カバー写真 2010/12/4 東海道本線 由井~興津 この物語はフィクションです]

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