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夏の雪 ~ 第1章 東京 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

――― 雪の降る音って分かる?
遠い昔、そう聞かれたことがあった。

「え~っ、雪降ってる時に音なんてしないよ!」
夕暮れのいつもの公園。遠くを走る2両編成のローカル列車を並んで見つめながら、確かあの時はそんなふうに答えたんだっけ……?
そう、あれは確か春がすぐそこまで来ている3月のおわりだった。まだ少し茜色が残る夕焼け空から、銀とも白ともつかない不思議な色をした雪の小さなかけらが、少しずつ、それでも絶え間なくキラキラと落ちてくるのを見上げながら、少し寂しそうに笑ったその顔を見て、その時は「何言ってるんだろ」くらいにしか思わなかったけれど。




――― やっぱり今朝も雪の降る音は聞こえなかった。
東京に出て来て初めて体験した雪は、都心では4年ぶりだそうで、昨日の夕方から降り始めたみぞれが、夜半には大雪になったというのに。

変な夢を見たせいだろうか、今朝は家を出るときからついてなかった。
スノーブーツを実家から持ってきておけばよかったと舌打ちしながら、靴箱の片隅から引きずり出したスニーカーをつっかけて出かけたが、焦っていたせいか、駅のロータリーでは危うく転びそうになったし、いつも乗る7時ちょうど発の通勤快速は運休、その後に来た各駅停車も満員で乗ることができず、2本も乗り過ごしたおかげで、会社に着いたのは10時過ぎと大遅刻だった。

いつも何かにつけて「注意」という名の嫌味をあいさつ代わりに言う先輩の石川さんは、今朝は口もきいてくれずに、黙ってあたしを睨みつけるだけだった。
それでもあたしは平気だ。一見すまなそうな顔をして、「すみませ~ん、電車が遅れてて~。挙句の果てに駅でころんじゃったんですよぉ~。エヘヘ~」と膝をさすりながら、いつもの愛想笑いを振りまいた。
予想通り、増田課長が
「いいんだよ沙織ちゃん、今日はしょうがないよね。大雪だったんだし。それよりも足大丈夫?」
といつものいやらしいニヤニヤ笑いを浮かべながら近づいて来て、チャンスとばかりにあたしの足をいやらしい手つきで触ってきた。
あたしは
「あ、かちょ~。だいじょうぶですよぉ。ごしんぱいおかけしまして、ありがとぉございま~す」
といつもの鼻にかかったアニメ声で返事した。増田課長は相変わらずニヤニヤしながら、それでもあたしの足をさわる手はひっこめない。この勢いだと今日はランチくらいはご一緒しないとすまないかも知れない。まあいつものことだし、その程度の「お礼」で済むなら安いほうだけど。そう考えて、あたしはそれとなく課長がさわってる足をスッとひっこめて、自分の席に戻った。
課長がそういう態度だと、石川さんも大声で怒ることができず、あたしが席につくときに小さい声で「遅刻するときは電話くらい入れなさいよ」とちょっと嫌味を交えて注意するのが精いっぱいだった。それもいつものこと―――
そうやって、今日という一日がまたいつも通り始まっていくのだ。
そう、そうやってあたしがいつも通り、ぶりっ娘のふりをしてれば、すべてがうまく行くのだ。
あたしも周りのみんなも――

いつからだろう――こんなふうにうまく生きるすべを身につけてしまったのは。
きっと、あたしがこんなことしてるってコウさんが知ったら、悲しむんだろうな。
コウさんは、あたしが長野の片田舎でどん臭い美容師の見習いをしていた頃しか知らないのだから。
東京に出てからのことは、もちろんたまに電話では話すけど、詳しくは話してないし、仕事を覚えるのに必死としか言ってないから、たぶんあたしが精いっぱい、それこそ「汗水たらして」真面目に働いてると思ってる。

ほんとは、全然違うのに。東京に出てきて、汚いこともいっぱい覚えたし、たくさん嘘の笑顔も振りまいたし、そして――たくさん泣いたのに。


ふと窓の方を見ると、雪はまだ降り続いているようだった。オフィスの窓ガラスは、暖房が効いた部屋の温度と外気温との差で真っ白に曇っており、ほとんど外の様子をうかがうことはできなかったけれど、それでも何となく雪が降っている雰囲気は分かった。

あたしは隣の席の佐々木君に
「ねえ佐々木君、雪の降る音って分かる?」って聞いてみた。
佐々木君はこの前買ったばかりのスマホで――入社したての新人なのに「オレ年甲斐もなく若い人の真似してスマホ買っちゃいましたよ~」って言ってる自称「しっかり者」クンだ。仕事はあたしより更にいい加減だけど――そのスマホでコソコソと彼女にメールをしてた。
だからあたしの質問は全く聞いてなかったみたいで、あわてて
「えっ?関根さん、なんか呼びました?昨日の伝票処理の件ですか?」
とやっぱりトンチンカンなことを言ってきたから、あたしはもちろん笑顔で
「いやだ~違うわよ~。今日のお昼は彼女が作ったお弁当食べるの?って聞いたの~。もう~しっかりしてよ~」
と言った。佐々木君はエヘエヘ笑いながら
「あ、やっぱ分かります~?カノジョ、昨日も夜遅くまでかけて弁当作ってくれたみたいなんスよ~」
と、やっぱり最後までトンチンカンな回答を返してくれた――




――― 新宿にある大手ゼネコンの下請け会社の経理部に勤務し始めて、明日で丸2年になる。
長野の最も北に位置するもう新潟にほど近い小さな町で、美容師見習いとしてママが経営する美容院を助けながら働いていたあたしの運命は、そう、母一人子一人で助け合いながら、ささやかに暮らしていたあたしたちの幸福は、2年前の11月の日曜日にママが台所で突然倒れてから、ガラガラと音を立てて壊れていった。
不幸中の幸いだったのだろうか、その日の夕方は近所に住むコウさん――豊田幸太郎さん。あたしが幼い頃通ってた児童保育施設「わかば園」の園長さんだ――がうちに作り立てのおかずを持って遊びに来てくれていたので、ママが大きな音で倒れたのにいち早く気づき、迅速に救急車を呼んでくれた。
たぶんあたし一人だったら、何もできずに手遅れになってしまっただろう――コウさんの素早い手配のおかげで、ママは一命を取り留めた。
でも――。でもそれがママにとって幸福だったかどうかは、今でもよく分からない。
一命こそ取り留めたものの、急性脳溢血で極度に脳に酸素が不足したママの意識は、結局今日に至るまで一度も戻ることはなかった――

ありとあらゆる治療法が試された。保険のきかない、最新の「電子なんちゃら法」とかも試したけど、結局あの日からママの意識は戻らなかった。
必死に手を握りしめても、どんなに泣き叫んでも、眠ったように――いや本当に眠っていたのだろう――動かないママの姿を見て、それでもあたしは一縷の望みを託して、ママの入院費用を稼ぐために単身上京した。
――もうあれから2年――まるであたしの、いやあたしたちの時間が2年前のあの日から止まってしまったみたいだった。




昼休み、ランチルームでサンドイッチを食べてると、テレビでお昼のニュースが流れていた。
朝のニュースで熱狂したように「大雪の際の、都心の安全システムのもろさ」を強調していたコメンテーターは、今やってるニュース番組では何十年かぶりに日本にやってきたパンダを見て「かわいいですねえ」と満面の笑みを浮かべていた。

――― 本当に都会の人って心変わりが早いんだよね ―――
誰に言うともなく、自分を納得させるかのようにそうつぶやいて、向こうの席の増田課長の姿をにらんだ。
絶対ランチに誘われると思って、11時半に更衣室でルージュを塗りなおしてきたのに、課長は隣の営業部の女の子と一緒に、彼女の「お手製」弁当をご賞味されてるみたいだった。

――― 平気、平気。いつも同伴してくれる社長さんだって、しょっちゅう他の娘指名してるじゃない。
「昼」の勤務時間中は「夜」のことを考えないようにしてたのに、そんなふうに納得させてるもう一人の自分がいることに気づき、あたしは慌ててそのもう一人の自分を追い出すかのように首を振って窓の外を見やった。
相変わらず、窓は曇っていて外の様子が見えないけれど、雪は降り続いているようだった。


「本当によく降るわね…」
不意に後ろで声がしたのでびっくりして振り返ると、石川さんが定食のプレートを持って立っていた。
「隣、いいかしら?」
珍しく、石川さんがランチルームに現れたことに、いやそれよりもあたしの隣に座りたいと言ったことに面食らい、あたしは妙にドギマギしながらもうなずいて席を譲った。

「明日で、もう2年ね…あなた、2年前に社長に紹介されてうちの部に配属されて来たとき、本当に泣きそうな顔してたのよ。覚えてる?」
サバの味噌煮定食という、およそ女子が食べそうもないメニューをもくもくと食べながら、石川さんはボソっとそうつぶやいた。
「そうでしたっけ…?なんか時のたつのが早すぎて、よく覚えてないです…」
「そうよ。私それ見て、本当にこの子大丈夫なのかしら?って不安になったんだから。仕事だってミスばっかり。この子、絶対にすぐ辞めるわ。一人では働けっこない!って確信してたんだから。」

柄にもなく神妙な顔つきをして黙りこくったあたしを見て、少し言い過ぎたと思ったのか、石川さんは不安そうに
「どうしたの?あらやだ、ちょっと言い過ぎたかしら?でも関根さんも最近はよくやってくれてると思うわよ」と一応フォローらしきことを言ってくれた。

「いえ…大丈夫ですよぉ!それにしても今日はよく雪降りますよね~!そういえばホワイトクリスマスじゃないですか!」
あたしはわざと明るく言ってから、「しまった」と思った。けどもう遅かった。石川さんはあたしがその手の話題をあえて振ったと思ったのだろう。
「そういえばそうね…あたしには縁がないけど、関根さんやっぱり、今夜は恋人と一緒に過ごすの?」
よりによって、雪の日のイブにその話題を振らなくてもよかった…やっぱり朝からのツキのなさがたたってるのだろうか…あたしは何か返さなくちゃと思いながらも、結局一言
「恋人なんて……いないです」
とか細い声で答えただけだった。珍しく、本当にあたしにしては珍しく落ち込んだ声になったのを見て石川さんはちょっとびっくりしたようだったが、「そう…」と言ったきり何もしゃべらずに、食べ終わると一人「お先に」と言って定食のプレートを片付けて去って行った。




「沙織が東京なんかで一人で働けるわけないだろ!」
――― 2年前、確かにケンちゃんもそう言った。
3つ年上のケンちゃんこと遠山健一は、小さい頃から兄のような存在だった。幼い頃に両親を亡くしていた彼は、「わかば園」でコウさんに育てられて暮らしていた。ママがいない昼間だけ施設に遊びに来ていたあたしとは、境遇が似ていたこともあり、幼い頃から仲が良かった。持前のわんぱくさで木登りや水泳をやってのけるあたしをケンちゃんはいつも見守ってくれていた。


――― そして、あたしが上京することに最後まで反対していたのも彼だった。
ママが倒れてからそれとなく上京の話をしていたが、ケンちゃんは良い顔をしなかった。あたしのような「世間知らず」の「田舎者」が東京で働くということがとても不安だったらしい。あたしとは根本的に意見が食い違い、いつもケンカになりそうだったので、あたしの方が先にその話を打ち切っていたのだが、覚悟を決めたクリスマスイブの日――そうあの日もこんな大雪だったのだ――あたしは、訪ねてきたうちの玄関先で彼に
「明日の朝の特急列車で上京するから。もう切符も取ったし」
と告げたのだ。

案の定、彼は烈火のごとく怒りだした。
「何言ってるんだよ!俺は散々反対しただろ!!だいたいさ、沙織はいつも無茶すぎるんだよ!東京に行ったって、どれだけお金稼げるんだ?アパート代や食費だってかかるし、それにあんな危ない町にお前一人で暮らすなんて、危険すぎる!考えなさすぎだよ、沙織は!」
「ケンちゃんに何が分かるのよ!それならケンちゃんがお金だしてくれるの!?」
売り言葉に買い言葉で大声を上げたあたしに、彼は一瞬言葉を詰まらせた。
そしてよせばいいのに、追い打ちをかけるように最後の一撃。
「家族でも恋人でもないのにえらそうなこと言わないで!」

―――その言葉を聞いた彼の顔がゆがんだのを見るに堪えなくなり、あたしは思わず玄関の扉を乱暴に閉めた。そして結局、それっきりになってしまった―――本当にそれきり、彼とは連絡を取っていない。





夕方になると、空は相変わらずどんよりと曇ってはいたものの、雪はやんだようだった。
定時を少し過ぎてオフィスを退社したあたしは、新宿駅西口のオフィス街から反対側、歌舞伎町方面に向かった。
道行く人たちは、今日がクリスマスイブということもあり、どことなく浮かれた様子で歩いている。町を彩るイルミネーションは、心が浮き立つように華やかだったが、なぜかその美しい光景は、あたしに道端の、足跡や車の排気ガスで黒く汚れている残雪を目につかせた。
そんなこと考えちゃいけないのに。これからあたしにはもう一仕事残ってるのに。
今日はクリスマスイブだから、あたし目当ての常連さんがたくさん指名して来てくれるはずなのに――

けど、どうしても、どうしてもあたしの心は、今日のこの曇り空のように沈んでいた。
やっぱり、朝、変な夢を見たせいだろうか…それともお昼に石川さんと食事したせいかも知れない…

いや、実はあたしの時間が止まった2年前から、ずっと同じ気持ちだったのかも知れない。
単にそれに気づかないふりをしてただけ…

「あの電車に乗れば、ふるさとの町に帰れるのかな…」
歌舞伎町に向かう途中、高架線を走る通勤電車をぼんやりと見ながらそんなことを考えてると、ふと頬に冷たいものを感じた。空を見上げると、ネオンが赤く光る新宿の空から、白いかけらが再び舞い落ちてきていた―――。

今度こそ、今度こそ雪の降る音は聞こえるだろうか――?
あたしは必死に耳を澄ませたが、届いて来たのはすぐ近くにある家電量販店から流れる大音響の宣伝音楽と、居酒屋の呼び込みの店員さんの掛け声、それに車のクラクションだけだった。



―――やっぱり雪の降る音なんて聞こえないよ。ケンちゃん……



空から絶え間なく落ちはじめた雪のかけらを見上げながら、あたしはそうつぶやいていた――
                                            ―― つづく ――

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[カバー写真:2011/03/27 埼京線 新宿~池袋/この物語はフィクションです]

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