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夏の雪 ~ 第2章 携帯電話 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

――― 101列車、出発進行!
速度計の横の戸締りランプがついたことを確認した後、前方の信号灯が緑色に点灯しているのを指差しで確認すると、僕は大きな声で発車の合図を喚呼した。

まだ夜も明けやらない早朝、凍てつくような寒さの中、列車のアクセルにあたるマスコンハンドルを回すと、列車は一度ガクンと揺れた後、その重い車体を億劫そうにゆっくりと動かした。
昨晩まで降っていた雪が氷となって車輪にこびりついているのか、いつもより始動にかかる時間が長いような気がする。僕は圧力計の値を注視しながら、車輪が空転しないように慎重にマスコンを一段一段上げていった。

薄暗い構内のポイントを重いディーゼル音を響かせながら通過する。昭和50年製造のJRからの払い下げの車体だけあって、ポイント通過時の揺れがひどい。まあ、さっき出発前に車内を見たら乗客はゼロだったから、関係ないのかも知れないが。

夜明け前の誰もいない街中を通過し、田んぼ沿いの直線に差し掛かる頃、ようやく列車はいつもの速度を思い出したように快調に走り出した。速度計が時速60キロを指したタイミングでマスコンのスイッチを切って惰行運転に切り替える。はるか彼方にポツンと光る緑色の信号灯を指差し喚呼で確認し、僕は傍らの録音テープのスイッチを入れた。
「毎度、長野電鉄にご乗車いただき、ありがとうございます。この電車は各駅停車長野行きです。次は上條、上條。お降りの方は前方のドアよりお降り下さい。」


――― 変わらないものと変わりゆくもの。


機械的な女性のアナウンスが誰もいない車内に響くのを聞きながら、僕はそんなことを考えていた。

遠くの山の端が徐々に白みがかっていく始発列車から見えるこの風景はたぶん、あと百年たっても変わることはないのだろう。でも僕たちの周りの環境は刻一刻と変わっていく。
この列車が合理化のため車掌を廃止し、ワンマン運転を開始したのが5年前。そして来年度は運行本数の大幅減も経営側は計画していると、昨日運輸部長の林さんから聞かされた。
「俺自身もリストラくっちゃうかもな…ダイヤ減らすっていうことは俺らの仕事減らすっていうことだもんな。時代は変わったもんだよ……」
根っからの鉄道マンで、この長電の再建に誰よりも努めてきた林さんはそう言って寂しそうに肩を落とした。


―― そう、みんな変わっていく、いや変わらざるを得ないのだ。
それは田舎から都会に出ていく人たちの多さとも無関係ではないのだろう。

胸にチクンと指すような痛みを感じる。それは2年前からもう何度も感じてきた痛みだった――

――― 明日の朝、上京するから。
2年前のあの晩、玄関でそう告げた沙織の蒼白で悲痛な表情を思い出すたびに、なぜあの日彼女の上京を思いとどまらせることができなかったのか、自責と後悔の念に僕は幾度も襲われた。

脳溢血で倒れた洋子おばさんの容体が思わしくなく、沙織が入院費用を稼ぐために上京を考えていることは、少し前に彼女自身から聞かされていたし、僕がそれに反対していることはそれとなく匂わせていたつもりだった。
子供の頃から一度こうと決めたら譲らない所があり、激高するきらいもあったが、それでも僕がゆっくり諭すと、たいていは納得してくれた。あの日失敗だったのは、突然のことでつい僕自身も頭に血が上って、彼女を叱りつけるように怒鳴ってしまったこと ―― そして、その言い方が彼女を傷つけていたのかも知れないという反省に至るには、やはり僕は若すぎたのかも知れなかった。


「家族でも恋人でもないのに!」

彼女が思わず口走ったその言葉、そして僕の目の前で乱暴に閉められたドアの音は、今でも僕の耳にこびり付いて離れない。

――― お前は洋子おばさんの入院費用を出すだけの経済力もないじゃないか、

――― お前は沙織を説得することもできないじゃないか、

――― そしてお前は……


お前は沙織を幸せにできなかった ――

あの日からもう2年…
2年前から幾重にも僕の胸に降り積もり、遠くにそびえる北アルプスの万年雪のように決してとけることのない、自責と後悔という名の雪が、また今日も執拗に降りかかってくるのを払いのけるように、僕は頭を振って前方を注視した。
列車は間もなく最初の停車駅に近づいていた――

「おーい、遠山!今晩暇か~?久しぶりに飲みに行こうぜ!」
昼の折り返し運転の乗務を終えて、駅近くの詰所に戻ると、昔からの友人で、職場の同期でもある近藤がそう言って話しかけてきた。
「お前、最近元気ないじゃん。だからさ、知り合いの女の子に頼んで合コンやってもらうことにしたんだ。今日は早番だろ。7時から駅前のカラオケ予約してあるからさ…」
相変わらずこちらの都合を聞くことをせずに、自分の思ったことをひたすらしゃべる近藤に苦笑いを浮かべて、その話をさえぎり、
「あ~、ダメだ。今日俺予定あるんだ。悪いな…」
と、わざとそっけなく言い、コンビニで買ってきた弁当を広げた。

「おいおい、そりゃないぜ!いっつも早番の日、早く帰るじゃんかよ!それとも彼女でもできたのか?」
全くデリカシーのない奴だ…内心呆れながらも、努めて表情にそれを表さないようにしながら、
「悪いな。俺もいろいろあるから…」
とだけ答えた。

近藤は少し不満げに口をとがらせていたが、ふいに深刻な表情になって
「お前、まさかまだ沙織ちゃんのこと気にしてるのか?仕方ないじゃないか。彼女もいろいろあったんだろうし…」と慰めるように言った。


優しさは時として人を傷つける ――


狭いこの町では、僕と沙織が幼馴染で仲が良かったことや、彼女の母親が脳溢血で倒れたことなどは周知の事実だった。沙織と別れた翌朝、彼女は始発列車で長野駅に向かい、そこから新幹線か特急列車で上京したらしい。たまたま始発列車に乗務していた近藤がボストンバッグを抱えて乗っていた彼女を見かけており、昼過ぎに何度電話しても電話に出ずに焦っている僕にそのことを教えてくれたのだった。

近藤にしてみれば、彼なりの優しさで教えてくれたつもりだったのだろうが、その時の僕は、彼女が結局この街を出て行ってしまったことに、そしてそれに気づくことも、止めることもできなかったという事実に、ひどく傷つき、ショックを受けていた。

そしてまた今日も、僕はあの日と同じような気持ちになっていた。近藤の顔を見ることもせずに、うつむいたまま僕は
「すまん、そんなことないんだけどな。まあいずれにしても今日は予定あるからダメなんだ。悪いけど他を当たってくれ」とだけ言って、食べかけの弁当を片付け始めた。
近藤はまだ何か言いたそうな表情だったが、僕はそれを無視して足早に詰所を出た。



午後の乗務のため車庫に向かう道すがら、ポケットから携帯電話を取り出した。
画面の端に小さな受信メールのマークがついているのを見つけ、慌ててクリックをしたが、それはいつも配信されてくる地元新聞社のニュースレターだった。

やっぱり今回も返信はないか…
僕はそっとため息をついて携帯をしまうと、再び車庫に向かって歩き出した。朝方晴れていた空は、今はどんよりと曇り、今にも雪が降り出しそうだった。

――― 彼女が東京に出てから、僕は定期的に彼女の携帯にメールを送るようになった。
それは殆ど日記のようなもので、何か人に宛てて書く類のものではなかった。
今日の列車の運行状況や、地元の天気、駅で見かけた野良猫のこと、―― そして時折コウさんや洋子おばさんのことも。

そんなことをつらつらと書き綴るだけのメールに、果たして何の意味があるのか、自分でもよくわからなくなる時があった。そしてもちろん、沙織から返事が来たことは今まで一度もなかった。

それでも時折僕は思うのだ。
もしかしたら、こうやって彼女に宛ててメールを書き綴ることで、僕はあの日彼女を傷つけたことへの償いをしたかったのかも知れない。
そして、彼女が受信拒否もアドレスの変更もせずに、メールを受け取り続けていてくれることが、僕があの日の贖罪を続けていることを、それだけは彼女が認めてくれているのではないか、と。


午後の長野への往復の乗務を終え、林さんに「106列車、異常ありませんでした。」といつも通りの報告をすると、僕は着替えて足早に駐車場に停めてある自分の車に向かった。
冷え込む車内に暖房を入れて、カーステレオから流れるサザンの古いバラード ――いまだにサザンなんか聞いてるのかよ!と近藤にはバカにされているが…―― を聞きながら、僕は車を郊外の総合病院に走らせた。

薄暗い病院の受付で、いつも通り「関根洋子さんに面会に来ました」と言うと、顔見知りの警備員さんは黙って入館バッジを渡してくれた。
別館の3階、個室の病室が並ぶこの場所は他に比べて殊更薄暗く、静かで、まるで海の底にいるかのようだった。
それは、この3階が心身共に安静を必要としている患者、端的に言えば末期ガンの人など治る見込みのない人たちが多く入っている病棟だということとも無関係ではないかも知れなかった。

303号室のドアをノックして開けると、中には珍しく先客がいた。
「コウさん。来てたの…」
「やあ、健一。久しぶりだね。」
コウさんはベッドの足元にある椅子に座って文庫本を読んでいたが、僕が入ってくるのに気づくと、目を上げて優しく微笑んだ。
大学を卒業して就職して以来、僕はわかば園を出て会社の寮に入っていたので、コウさんと顔を合わせるのは、こうして洋子おばさんの病室か、たまにわかば園に遊びに行くときだけになっていた。

僕は枕元の花瓶の花と水を取り換えながら、洋子おばさんの顔を見つめた。
最近少し体の調子が良くなってきたとのことで、先週までつけていた酸素マスクは外されていた。そのきれいな寝顔を見つめていると、本当に今にも起き出してきそうだった。そして、昔子供の頃、夕方遅くまで遊んでいた公園に迎えに来た時のように、ちょっと苦笑いしながら「健一くん、いつも沙織のことをありがとう」と言ってくれそうな気がした。
―― でも、彼女が目を覚ますことはもう二度とないんだろうなということを、僕は何となく感じとっていた。

「リンゴ食べるかい?」
ぼーっとしていたのだろうか、コウさんの声で現実に引き戻されたような気がして、僕はちょっと慌てて、頷いた。

「健一、いつもありがとう。毎週花を替えてくれているのは、健一だろう?」
コウさんはリンゴをナイフでむきながら、穏やかな声で僕にそう語りかけた。
コウさんの声は本当に昔から変わらない。聞いていると、すうっと吸い込まれてしまいそうな優しくて静かな声だった。

僕は、コウさんの問いにあいまいに頷きながら、黙って持ってきた花の枝を切りそろえていった。
コウさんは器用な手つきでリンゴをむきながら、問わず語りに
「洋子さんも喜んでくれていると思うよ。そうそう、この前その話を沙織にしたら、彼女もうれしがっていたよ」そう言ってまた微笑んだ。

僕は思わず手を止めた。沙織のことを思い出させられたのは今日これで三度目だ。
僕はコウさんの方を見ることをせずに、静かに「そう…」とだけ言って、揃えた花束をスッと花瓶に挿した。

しばらくの沈黙の後、僕は
「沙織は元気なの?」と聞いていた。できるだけ感情を押し殺したつもりだったが、コウさんにはそんな僕の気持ちなど、お見通しだったかも知れない。

コウさんは、相変わらず穏やかな声で、
「ああ、先週電話した時は元気そうだったよ。年末には顔を見せにおいでと言ったけど、仕事が忙しいと言ってたからなあ。どうだろうねえ。」
と言ったきり、黙ってリンゴをむいて、僕に差し出した。
僕もそれ以上何かを聞こうとせず、聞きたいことは山ほどあったのだけれど、やはり聞くことができずに口をつぐんだ。
沙織が東京でどんな仕事をしているのか、僕は知らない。多額に上る入院費用を稼ぐのには、いくら東京でも無理なんじゃないかということも感じてはいたが、一体東京でどんな仕事があるのか、東京に友人もいない僕には分からなかったし、コウさんも詳しくは知らないようだった。

沈黙が少し気まずくなり、僕はコウさんが差し出してくれたリンゴを一つ、口に入れた。
リンゴはまだ熟しておらず、少しすっぱかったけれど、寮で一人で食べるそれよりは、ちょっとだけ甘いような気がした。


夕方の回診が始まって、主治医の先生や看護師さんが入室してきたのを機に、僕たちは部屋を出た。
病院のロビーでの別れ際、
「コウさん…」と呼び止めたが、やはりそれ以上何を聞いて良いのかわからず、
「ごめん、何でもない」
とだけ言って、僕たちは別れた。



駐車場への道すがら、僕はまた携帯を取り出し、相変わらずの慣れない手つきで
「本日、朝方晴れのち曇り。東京は4年ぶりの大雪で、電車が遅れていたとニュースで聞く。長電は本日も遅延・異常なし。……夕方、洋子おばさんのお見舞いに行く。元気そうで安心した。」
とだけ書いた。

送信ボタンを押せば、わずか1秒かそこらで、このメッセージが遠く数百キロ離れた、まだ見知らぬ街にいる彼女の携帯電話に届く――
こんなに近くに感じるのに、いや近くに感じるからこそ、途方もなく遠い存在――
その厳然たる事実が、僕は無性に悲しかった。
胸を締め付けられるような痛みに、思わずメールの消去ボタンを押そうとすると、ふと携帯のモニターに雫が落ちてきた。空を見上げると、夕方までやんでいた雪がまた降り始めていたのだった――

……さらさら、さらさら……
とめどなく降り始めた雪の中、静謐な暗闇の中で耳を澄ますと、あの音が聞こえてきたような気がした。
懐かしい音だ。雪の音が聞こえるなんて。こんな感覚になったのは何年振りだろう…もう子供の頃から永いこと感じてこなかったような不思議な感覚だったが、僕の耳には確かに、雪の降る音が聞こえていた。
遠い昔、彼女にそのことを聞いてみたような気がする。あの時はあっけらかんと、「分からない」と言われてしまったけど。

ふと思い立って、先ほど消去しようとしていたメールの編集画面に戻り、文末に
「夜半から雪。」
と書き加えた後、ちょっと迷ったけれど、5行ほど改行して、ぎりぎりスクリーンから見える所に一言。



「沙織…雪の降る音って分かる?」
と書いた。



久しぶりに、本当に久しぶりに彼女に話しかけたような気がして、それは僕に感慨と少しだけの気恥ずかしさを生じさせたが、僕はそのまま送信ボタンを押した。
―― 通信中……送信完了 ――
秒速250キロメートル。新幹線の数千倍もの速さで運ばれる僕の気持ちは、本当にそのままの、僕が届けたいままのすがたで彼女のもとに届くのだろうか……
変わっていく世の中で、変わらずあるもの、いや変わってはいけないものがある。

そう自分に言い聞かせ、携帯の画面を閉じると、遠くの空からかすかに列車の警笛が聞こえてきた。
たぶん8時ちょうどの各駅停車が出発したのだろう。
確かこの列車は近藤の乗務だったはず。今日合コンをやるということは、この列車の運転は誰かに代わってもらうつもりだったのだろうか。まったく、あいつらしい…

僕は苦笑いをし、それから一つ、深呼吸をしてから空を見上げ、
「203列車、出発進行!」
そう大きな声で叫んだ。
                                              ―― つづく ――

20110205_084.jpg
[カバー写真:2011/02/05 釧網本線 北浜駅/この物語はフィクションです]
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