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夏のおわり [日々鉄道小景~ショートストーリー]

昼間の喧騒がうそのように、夕暮れの海辺は静かだった。
遥か彼方まで続く水平線、その先に今まさに沈まんとする夕日が、最後の光を名残惜しそうに僕に投げかけてくる。
波打ち際に佇む僕の耳に届いてくるのは、繰り返し打ち寄せる波の音だけ。

幾万遍も繰り返されるこの波の往来のように、僕がこの場所に立った数も数えきれない。
幾度待っても君が来ないことを知りながら。
それでも、今日もまた僕はこの場所に立っている。

「ずっと待ってるから」
寂しそうに笑う君にそんな最後の言葉を投げかけてから、もうどれくらいの年月が経っただろう。

胸をかきむしられるような後悔と、自分の至らなさを責め続けた日々。
そんな過去も潮風に吹かれていると、今はなぜか懐かしい。

僕はこの場所が好きだ。
「いつかまた一緒に来ようね」と交わした約束は果たせなかったけど。
それでも、君が好きだと言っていた海の香り、音、ここにあるすべての景色が、僕をまた幸福にしてくれる。

人づてに、君が結婚したと聞いた。

寂しさがないかと言われれば、それは嘘になるけれど。
それでも、もし君に再び会えるのなら。
おめでとう。
その言葉だけを伝えたい。

空を見上げると、星々が輝きだしている。
茜色に染まった空は、次第にその色を深い海の青へと変えていく。

秋がすぐそこまで近づいていた――

20110717_177-2.jpg
[信越本線 青海川-鯨波 この物語はフィクションです]
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夏の雪~あとがきに代えて [日々鉄道小景~ショートストーリー]

僕にも結局、雪の降る音は分かりませんでした (笑)

冒頭の一文をテーマに描き続けてきた今回の小説「夏の雪」。先日めでたく(?)完結致しましたが、いかがでしたでしょうか?

まだ読まれていない方は、こちらからどうぞ
第1章
http://sekiyu-oh.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23
第2章
http://sekiyu-oh.blog.so-net.ne.jp/2011-06-04
第3章
http://sekiyu-oh.blog.so-net.ne.jp/2011-06-18
終 章
http://sekiyu-oh.blog.so-net.ne.jp/2011-06-29

ご多分に漏れず今回も難産で、ワードの修正履歴も相当な数に上り(笑)、数多くのボツ原稿が生み出されました(笑)。
時間的にも1か月以上アップしなかったと思ったら、急に最終章まで駆け足でアップするなど、タイミングがバラバラで、楽しみにされていた方には、定期的に発行できず申し訳ありませんでしたm(_ _)m

今回初の試みとして、4章構成となり、話のボリュームも(ブログに載せるものとしては)相当なものとなりましたが、プロットとしてはまあまあ上手く出来たかな?と思っております。
ただし、「説明書きが長い、しつこい!」という点は引き続きご批判を受けており、文章力のなさを痛感している次第です(汗)

今回は登場人物の設定が最初にあり、そこから話を膨らませて行ったのですが、個人的には主人公2人+コウさんの3人が実に良い働き(?)をしてくれて、途中からは作者である僕の手を離れて自由に行動してくれたような気がします。いや~三人とも良い役者でした(笑)

ちなみに、恋愛小説で3人目の脇役を、男女二人を見守る役として登場させるのは、重松清さんの「疾走」という小説からヒントを得たものです。あちらはもっとエグい(?)表現てんこ盛りの、18禁小説じゃね~の?という内容なので、ご興味のある方は一度読んでみて下さい(笑) あ、内容はとても良い小説ですよ(汗)

さてさて……当初、雪をテーマにしようと思ったのは、2月に東京で大雪が降った翌日、会社近くの大通りの雪が昼過ぎにはとけてしまったのを見て思いつきました。そのときは「すぐにとける雪=都会、とけない雪=田舎」という対立構図で物語を構築しようと思っていたのですが、最終的には「雪の降る音」がテーマになりましたね。

「雪の降る音」の発想については、もう5年以上前になりますが、会津の山奥で只見線の撮影をしていたとき、国道なのに車が一台も通らず、一直線の道にしんしんと雪が降り積もっていく様子や、ピーンと張りつめた冷たい空気、雪がすべての音を吸収して余計に静かになっていくのに、その中でなお雪の降る音だけは聞こえるような感覚を得たことがあります。
ただ、僕自身も実際に雪の降る音が聞こえるわけではありません(笑)。やはり僕の心も汚れているからかも知れませんね(笑)。

個人的には、題名の謎かけ(?)の答えをラストで明かす所がミソかな~と思っているのですが、ラストの書き方がどうもへたくそで、どこまで共感してもらえるか、ちょっと不安です(笑)
(最終章掲載の写真も車中泊までして撮ったのですが、掲載してみるとあまり綺麗ではありませんでしたね(笑))

……今回の物語、どのようなメッセージを感じ取られるかは、人それぞれだと思いますが、僕自身としては「幸せとは何か」というテーマで描いてきたつもりです。
それはおそらく、この数か月の僕自身の心の迷い(?)が文章に現れた結果なのでしょう(笑)。

この物語に描いたような体験をされる方は稀かも知れませんが、人間生きていればいろいろな困難にぶつかるときもあると思います。そういった時に、この小説を読んで少しでも共感してもらったり、元気を与えたりすることができたのであれば、それは作者として望外の喜びです。

出来ましたら、感想や批判(長野電鉄は非電化じゃないぞ!とか(爆))その他もろもろ、コメント欄への記載やメール等でお寄せいただければ幸いです。メールアドレスはこちら↓
saitaman0309-blog@yahoo.co.jp

そうそう、今回は最終版を製本してみました(どんだけ気合入ってるんだ…)。
もし欲しい方は個別にメールを頂ければ無料でお譲りすることが可能です。

今回、かなり気合を入れて書いたので、しばらくは小説については休養を挟みたいなあと考えています(笑)。まあテーマとしては、いくつか思いつくのがあるので、しばらく経ったらまたアップできればなあと思いますが。
ただ、撮影については引き続き行う予定ですので、しばらくはまた元通りの(?)鉄道風景写真ブログに戻ると思います。引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたしますm(_ _)m

最後になりますが、今回の小説を書くにあたり、いろいろとアドバイスやヒントを頂いた方々、本当にありがとうございました。皆さんの温かいご支援があったからこそ、この物語を書きあげることができたのだと思います。

……今日は物語のサブテーマでもある七夕ですね。あいにくの空模様で、全国的に星は見られないかも知れませんが、ぜひ(好きな人がいる人は一緒に)空を見上げてみて下さい。僕も帰宅途中、自宅の近くで空を見ようと思います(あいにく僕は「一人で」ですが(笑))。

このブログを読まれているすべての方に幸せが来ることを祈りまして…
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

20090711_246(修正圧縮前).jpg
[上毛電鉄 前橋中央駅]
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夏の雪 ~ 終章 七夕  [日々鉄道小景~ショートストーリー]

長い長いトンネルを抜けると、まぶしいくらいの緑が目に飛び込んでくる。

「長らくのご乗車、まことにありがとうございました。列車は間もなく終点、長野、長野に到着します。どなた様もお忘れ物のないように、お降り下さい。信越線、長野電鉄はお乗換えです」
そんな車内アナウンスが聞こえると、新幹線は徐々にスピードを落とし始めた。
気の早い乗客は、網棚の上から荷物を降ろして、下車する支度を始めている。

数か月ぶりに見る故郷の景色は、本当に緑一色だった。
木々も、田んぼも、山々も、初夏の太陽の光を受けて、その萌え出ずる緑を抑えきれないかのように、キラキラ、キラキラ輝いていた。

周囲の乗客が慌ただしく下車する支度をしているのを横目で見ながら、沙織は窓の外に映る故郷の風景をぼんやりと眺めていた。

そういえば夏になると、ケンちゃんに手を引かれて、田んぼにザリガニ釣りに出かけたっけ…
いや、あたしの方がわんぱくだったから、彼を無理やり引っ張りまわして、二人して田んぼに落っこちたんだっけ…?

遠い日の記憶は遥か彼方に色あせ、もう蘇ることのない淡いかけらとなってしまったけれど、それでも彼と過ごした時間が、まぎれもなく沙織の中に息づいているのだということだけは、鮮やかな―――そう、今日のこの夏の日のような鮮やかな色彩を伴って彼女の心の中に深く刻み込まれていた―――

――― 二度と帰らないと思っていたのに。
ケンちゃんから来たメールには結局返信をしなかった。
何度も、何度も途中まで文章を書いたが、どうしてもそれを送信できなかった。
――― 彼と会うこと、彼と話すこと、そして彼と向き合うことは、自分という存在をより一層みにくいものにするようでいやだった―――そして、何よりもあたしのような人はもう二度と彼に近づいてはいけないような気がしたのだ。
―――あたしにはもう、雪の降る音なんて聞こえないんだから―――

――― 結局自分がかわいいだけなんでしょ。そうやって何でもかんでも人のせいにして。自分の気持ちに正直に生きるのが怖いだけなんじゃない。そうよ、あなたってだから汚い人なの。

自分の中に芽生えたもう一人の沙織が、またそうやって話しかけてくる。そしてそれに反論しようとすればするほど、自分自身を深く深く傷つけているような気がした。
ここ数週間、いつ果てるとも知らない心の葛藤が続いていた。そうして、その闘いに疲れ、もうすべてのことが嫌になってしまった沙織の背中を押してくれたのは、コウさんだった。
「洋子さんもきっと待ってるから…」
昨晩の電話でそう言われ、ようやく決心をして、故郷の町に帰ることにしたのだった。


この町では毎年7月7日の七夕に合わせて、公園の近くを流れる川のほとりで「灯篭流し」を行うのが習わしだった。
死者の、祖先の霊を弔うために流す灯篭―――それは、彼らが故郷に帰る道しるべともなる、この町のひと月早い盆の恒例行事だった。

死んでいったご先祖様のように、この季節になると故郷を懐かしく感じるのは、やはりあたしもこの町の人間だからだろうか…
目を閉じると、写真の中でしか見たことのない、祖父母や父の顔が優しく微笑んでいた。そして―――その先頭には、懐かしいママがいて手を振って笑っていた。



故郷の駅に降り立つと、駅前には祭りで使う大きな山車が置かれていた。道の両脇には既に出店が並んでおり、年に一度のお祭りに町全体が浮き立っているかのようだった。


――― 本当に戻ってきてよかったのだろうか…
華やいだ町の様子を横目に、沙織はそんな複雑な気持ちを抱きながら、我が家に向かって歩き出した。


***



――― 天の川みたいだ…
もう子供の頃から何度も見ている風景だが、年に一度この風景を見るたびに、健一はいつもそう感じる。
夕暮れ時になり、川原には町の人が三々五々集まってきた。みな、手に手に灯篭を持ってやってきて、公園の真ん中にかかっているこの橋のたもとから、灯篭に火をつけて流すのだ。
大小さまざまの灯篭が、夕闇の中に浮かんでは消え、やがて一つの流れとなって川を行く様子は、まるで大空に横たわる天の川のようだった―――

天の川によって離ればなれとなってしまった織姫と彦星――― 年に一度しか会うことを許されなかった二人は、本当に幸せだったのだろうか…?
遠く離れていても、愛の力さえあれば幸せだというのは、神話の世界だけの夢物語ではないだろうか…
この前、灯篭流しの準備をしていたとき、ふと思ってコウさんにそう尋ねたが、彼は寂しそうに微笑むだけだった。

それが運命だとしたら、仕方ないと思うよ―――

―――運命。
そう、沙織と出会ったのも、洋子おばさんが倒れたのも、そして沙織が一人で上京したのもすべて、この流れ行く灯篭のごとく、抗うことは出来ない運命だったのかも知れない―――
そう考えると、その不安な心持ちが少しだけ軽くなるような気がした。

結局、沙織から返事はなかった。そして、もしかしたら今日来ないかも知れないという予感も彼の中にあった。

彼女が東京でどんな仕事をしてきたのか、母親を助けるためにどれだけ苦労してきたのか、健一には分からなかったし、それは簡単に理解できるものではないような気がした。
だが、彼女がそのことで深く傷ついているんじゃないかということは、なんとなく分かる気がした。
あの日―――亡くなった洋子おばさんの前で肩を震わせながら座り込んでいた彼女を後ろから見つめていたあの日―――そこには、僕が触れてはいけない、何か神聖な想いがあるような気がしたのだ。
それは、愛や悲しみということばでは言い表せない、もっと深い僕には到底理解できない、感情の揺らめきのような気がした。

そしてまたあの日、そんな彼女の後ろ姿をたまらなく愛おしいと思ったのも事実だった―――
のど元まで出かかった言葉―――だがそれを僕は言うことができなかった。
それを言ってしまうには、あまりにも彼女は美しかった―――

―――もし再び会うことができるのなら。
僕はこの想いを伝えることができるのだろうか…
遠くの川向うまで伸びる光の筋をぼんやりと見つめながら、健一はそう感じていた。
そして―――




「天の川、みたいだね」
懐かしい声が聞こえた。振り向くと、そこには本当に懐かしい彼女の姿があった―――
いつも灯篭流しの時に着ていたかわいらしい水玉模様の浴衣を身にまとって静かに立つ沙織の姿は、少し疲れていたようだけど、やはりとても神々しく見えた―――

***



ちゃぽん…ちゃぽん…
ケンちゃんがそっと手を放すと、ママの名前が書かれた灯篭は静かに水面に浮かび、やがて他の多くの灯篭と一緒にゆっくりと流れていった。

一つ一つは小さな光でも、それがたくさん集まり、やがて大きな光の渦となって流れていく――
その様子は本当に美しく、神秘的だった。灯篭流しをこれほど美しいと感じたのは今日が初めてだったかも知れない。そして、なぜかそれを天の川のようだと感じたのも今日が初めてだった。

「コウさんが沙織によろしくってさ。」
突然話しかけられて、あたしは少し驚いて彼――ケンちゃんの顔を見た。
「コウさん、施設に新しい子供が来るっていうんで、さっき帰ったんだ。沙織は来れないかも知れないけど、もし来たらよろしく伝えてくれって言ってたよ。」

「そう……」
数か月ぶりのコウさんの顔が浮かんだ。確か最後に会ったのは、東京に帰る日の夕方だった――
「あの灯篭も、コウさんの自作なんだ。あの人、結構手先が器用だからさ」
そう言ってケンちゃんはクスクスと笑った。
本当にありがたかった。見ず知らずの他人だったあたしたちに家族のように接してくれて、ママが亡くなってからも、陰になり日向になって支えてくれた。
あたしはもう遠くに流れてしまった灯篭の残像を見つめながら、コウさんの優しさを今更ながら噛みしめていた。

「ほんとはね。」
川面を見ながら、あたしはそうつぶやいた。
「ほんとはね、あたし、もう二度とこの町に帰らないつもりだったんだ。だから、コウさんが電話くれた時も、帰るとは言わなかった。でもコウさん、あたしをとがめるでもなく、優しく「そうかい…」って言ってくれたの…」
ケンちゃんは黙ったまま川面を見つめていた。もうあたりはすっかり暗くなっていて、お互いどんな表情をしているのか伺い知ることはできなかった。
「……だってそうでしょ。ママもいなくなっちゃったし、もうあたしの帰る場所は、この町にはないんじゃないかなって。あたしバカだよね。コウさんはずっと待っててくれてたのにね…」

―――それにケンちゃんもね。
やっぱり最後の言葉は、言えずに飲み込んでしまった―――



「…ねえ沙織、覚えてる?子供のころ交わした灯篭祭りの日の約束。」
どれくらい時間がたったのだろう…ケンちゃんは何を思ったか、ふとそんな古い話を始めた。
「あれはたしか、沙織が7歳になったときだったなあ。あの年の灯篭祭りも、確かよく晴れてたんだよ。沙織、今日であたしも7歳になったんだから!って言ってさ。もう大人なんだから、来年は俺と結婚するって言い出したんだ。あれおかしかったよなあ」
彼のしゃべり方は、なぜかあたしをイライラさせるほどのんびりだった。

「それでさ、俺も困っちゃって、「じゃあ沙織が今年の冬、雪の降る音が聞こえるようになったら結婚してあげるよ」って言ったんだよ。でも結局沙織忘れてたよな~その話。まったく沙織らしいよ…」
そう言って彼は、おかしそうにクスクスと笑った。
まるで少年のようなあどけない笑顔だった―――


あたしの中で、何かがはじけたような気がした―――
「……ないよ。」

「えっ?」
彼はよく聞こえなかったらしく、思わず聞き返した。

もう止まらなかった―――
「聞こえないよ、雪の音なんて!そもそも何よ!雪が降ってる時に音なんてするわけないじゃない!バカじゃないの!
ケンちゃんは良いわよ、そうやってきれいなものしか見て、聞いてこなかったんだから。
……でもあたしには絶対に雪の降る音なんて聞こえない。聞きたくても聞けないの!
ケンちゃん知ってる?あたし東京でどんだけ汚いことやってきたか?ケンちゃん絶対に理解してくれないと思うけど、あたしお金のためならなんだってやったんだよ!お金稼ぐためなら平気で嘘だってついたし、お世辞も言ったし、それに……それに、見ず知らずの男の人とだって寝たし!もうなんだってやったんだから!だからあたしには絶対にケンちゃんが聞こえるものは聞こえない!こんな汚れちゃったあたしが、ケンちゃんが聞こえるものが聞こえるわけないもん!ねえ、なんで?なんで、そんなこと言うの!?

ケンちゃんなんか、だいっきらい!



―――もう、お願いだから……お願いだからケンちゃんもあたしをきらいになってよ!!」



気が付くと、あたしの目から、大粒の涙がこぼれていた。なんで泣いてるんだろうということも、あたしにはよく分からなくなっていた――
ただとにかく、もうこれで終わり――いろいろなことが終わったのだという気持ちだった。

―――もう帰ろう……
そう思って彼に背を向けて歩き始めた、そのとき―――




―――ぬくもりを、彼の両手がそっとあたしの背中を包み込むのを感じた。

遠い昔から、ずっとそうであったかのように、ずっとそこにいたかのように、そして、そうすることが運命であったように、健一は沙織を抱きしめていた―――

「ごめんな。沙織がどれだけ苦しんでたのか、俺には全く理解してやることができなかった…本当に情けないよ。君の哀しみや苦しみの十分の一も、いや百分の一も分かってやることができないんだ。本当にごめんな…
本当に……ごめん―――」

ケンちゃんは泣いているようだった。彼の声があたしの耳に優しく響く―――
あたしは彼の腕の中で目を閉じた。

「――― だいじょうぶ。きっと沙織にも雪の降る音、聞こえるよ。ほら今だって。」
しばらくすると、そう言ってケンちゃんは彼の胸にあたしの耳を押しあてた。


もしかしたら―――
その音がなんなのか、一瞬、分かったような気がしたのだが、それは、やはりあたしには説明することができなかった―――
「ねえ、ケンちゃん…」
「ん?」
「あたし、幸せになれるのかな…こんなあたしでも、幸せになることができる…?」
彼の胸に顔を押し付け、少し鼻声のままあたしはそう尋ねた。


彼はそれには答えず、黙って夜空を見上げた。そして―――



「もし沙織が雪の降る音が聞こえないのなら。俺、待ってるよ。沙織が本当に雪の降る音が聞こえるようになるその日まで。
―――ずっと一緒に。」



遠くの空から列車の警笛が聞こえてくる―――



「ほらっ沙織、見て!流れ星!」
空を見ていたケンちゃんがそう叫んだ。
あたしは空を見上げた。流れ星はすぐに消えてしまったみたいで、あたしにはそれを見ることはできなかったけれど、
澄んだ夜空には、本当に満天の星空が美しく光り輝き、今にも降って来るみたいで―――




―――それは、夏の夜空に舞う雪だった―――



―― 完 ――


20110305_091.jpg
[カバー写真:小海線 小淵沢~甲斐小泉 この物語はフィクションです]

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夏の雪 ~ 第3章 再会 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

――― ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ
――― いち、に、さん、よん、ご。
ちょうど5回鳴ると止まるのはメール受信の合図。電話の着信なら、あたしは留守電を設定していないから、出るまで鳴り続けるはずだ。たぶんまたケンちゃんからだろう…どうせ返信するつもりなんてないから…いいんだ。ほっとけば。

薄暗いホテルの部屋の片隅に放り出してあるハンドバックの中で、マナーモードにしている携帯電話が震えていることに、目の前の「田中さん」は一向に気づかない様子だった。
今はやりのITだかモバイルネットワークだかの新興企業の社長らしい。詳しいことはよく知らない。
この前お店に来た時にもらった名刺には「田中」と書いてあったけど、ちゃらちゃらしてそうだから、TPOに応じて何種類も名刺を使い分けてそうな雰囲気。だから「田中さん」が本名なのかどうかもよく分からないし、そんなこと知ろうとも思わなかった。
あたしにとって重要なのは、これからもちゃんとあたしを指名して来てくれるか、高いお酒をボトルで入れてくれるか、そしてホテルに付き合ったらお小遣いをくれるか―― 単にそれだけ。本当にそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

歌舞伎町でも高級店の部類に入る「プリンセス~歌舞伎町店」にやってくるお客さんは、接待か今を時めく若手社長さんなんかの、いわゆる「上客」のみで、間違っても学生とかキャバクラを恋愛の場と勘違いするような若いサラリーマンが来れるような店ではなかった。だから向こうも完全に遊びのつもりで、あたしたちを商品としてしか見てないし、あたしたちも「商品」としての最高級のサービスを提供して、それに見合うだけの「対価」を頂く。いわゆる「ビジネス」に徹するっていうやつだ。

ビジネスのためなら、愛想も振りまくし、適当なお世辞も言うし、時には体だって使うし、それに来店してくれた翌日とかお誕生日とか、事あるごとにメールすることだって欠かさない。

――― そう、ビジネスのためなら、ううん、お金のためなら、メールすることなんか何でもないこと。
それなのに――

――― 結局、あの大雪の日、あたしはケンちゃんのメールに返信しなかった。

いつも日記のような文面だったのに、なぜかあの日は久しぶりにあたしに話しかけてくるみたいで――久しぶりに話しかけられたことに、そして偶然あたしが考えてたこととおんなじことをケンちゃんも考えてたんだっていうことに、動揺して、でも温かくて、ちょびっと泣きそうになってしまって、メールの返信を途中まで書いたけど……やっぱり送信ボタンは押せなかった。

――― あたしには雪の降る音なんて、もう一生聞こえないんだ。
あの日ケンちゃんのメールを読んで、あたしはそう確信した。ケンちゃんにしか聞こえないものは、あたしには絶対聞こえないって自信があった。
――― あたしは、あまりにも彼から遠く離れた場所に来てしまったんだ――― 

お店で指名上位のランキングに入るのに、それほど時間はかからなかった。
顔つきも幼くて受けが良かったのだと思うし、「接客業のすべて」とかその手の本は読みまくって勉強もしたし、同席した先輩のしぐさとかをこっそり盗み見て応用したりもしてた。
入店早々にランキング上位になったことで、もちろん年上の「お局様」には散々嫌味も言われたし、ロッカールームでいやがらせを受けることもしょっちゅうだったけど、あたしは気にしなかった。
「悔しければ、同じだけ稼いでみれば!」っていう気持ちだったし、それに―――ママのことを考えたら、そんなこと―――そんな苦労なんて、苦労のうちに入らなかった。


――― かんたんかんたん、本当にこんな簡単な商売ないよ。
バカみたいだね、こんな簡単に大金稼げちゃうなんて。
そう、バカみたいだよ……あたしバカみたい……ケンちゃんから、こんなに遠く離れたところに来ちゃって…ほんとにバカ…

気がつくと、あたしの目から涙がこぼれ落ちていた。
汗だくで必死な様子で動いていた、「田中さん」は勘違いして
「あれっ?ユリちゃん、痛かった?」
と言ってきた。あたしは慌てて、
「ううん、違うの。ごめんね…」とだけ言って、「田中さん」の背中に手を回した―――




――― ねえ沙織。沙織の名前はね、誕生日にちなんで洋子さんがつけてくれたんだよ…七夕の日に生まれた女の子が織姫さまみたいにきれいになりますようにって。洋子さんそう言って笑ってたよ…

古い、古い話―― そう確か、小学生の頃にコウさんの家の縁側で夕焼け雲を見上げながら聞かせてもらったような気がする。あの日もなぜか空はきれいな茜色だったのに、小さい雪のかけらが降ってきてたっけ…

上京して来て、つらいことや悲しいことがあったとき、なぜか思い出すのは、ふるさとの町のなんでもない風景だった。
夏の真っ青な空の下を走る長電の2両編成の古ぼけた車体、遠くの雪化粧をした山々が夕焼けに赤く染まる様子、駅にいたノラ猫、コウさんが作ってくれたカレーライス、そして―――幼い頃ケンちゃんと遊んだ思い出の公園。

――― ねえコウさん、オリヒメさまって不幸じゃない?一年に一回しかヒコボシさまに会えないんだもん。
そう聞いたあたしにコウさんが向けた、寂しそうな笑顔。
――― それでも幸せなんだよ…

――― ねえ、幸せってなに?お金持ってることが幸せ?あたしがケンちゃんに会わないことが幸せなの?ママは生きてて幸せなの?ねえ、コウさんの幸せってなに?

――― 沙織、雪の降る音って分かる?
またケンちゃんの声…

――― 沙織、沙織…
ぐるぐる回る、みんなの声……



――― お願いだからもうやめて!
自分で発した大声で目が覚めたとき、やっぱりあたしはまた泣いていた――




――― ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ…
夢うつつの頭で、ホテルの白い天井を見上げながら、遠くの方で携帯のバイブレーションが鳴っていることに気付いた。あれ?5回でやまないってことは、電話?でもこんな朝早くに、だれ……?

今朝から大事な出張らしい。「田中さん」はすでに部屋を出て行った後だった。あたしはバスローブにくるまりながら、しつこく鳴り続ける携帯電話をバックから取ってディスプレイを見ると、
―― コウさんだった。嫌な予感がした。
「もしもし…?」
「沙織かい?すまないね、こんな朝早く。あのね……」


―― それは、ママの急死を伝える電話だった……


***


久しぶりに降り立った長野駅のホームには、3月ももう終わりだというのに、うっすらと雪が積もっていて、東京に比べるとやはり気温はかなり低かった。雪国の寒さを思い出したあたしは、コートの襟を合わせて、手に自分の息を吹きかけた。
東京では春一番が吹いていたが、こちらはまだまだ冬の様相だった。

車で長野駅まで迎えに来てくれてたコウさんから、詳しいいきさつ――夕方の回診後に容体が急変したママは、すぐに集中治療室に入ったが夜の9時過ぎには息を引き取ったことや、たまたま居合わせたケンちゃんから知らせを受けて駆け付けたコウさんも結局間に合わなかったということ、そしてケンちゃんはあたしに電話をしたけどつながらず、とにかくメールだけは送ってくれたこと――などを聞かされた。
その時間は確か「プリンセス」で接客中だったはず―――親の最期も看取れないなんて、本当にどこまでもバカなあたし…

――― しばらくぶりに帰った実家の玄関には、「忌中」の札がかかっており、葬儀会社の人や近所のおばさんたちが忙しそうに動いていて、声をかけるのもはばかられるようだった。
慌てていたので、喪服も準備できておらず、お店から支給されていた黒いワンピースを着てきたのだが、それは、キラキラとラメが光っていて、厳粛な葬儀には如何にも場違いという感じだった。

居間には質素な祭壇が飾られており、白い着物を着たママが布団の上に寝ていた。
ママの顔は本当に、今にも起きだして来そうなくらい安らかな表情だった。
絶対泣くもんかって思ってたけど、やっぱりママの顔を見たら、あたしはママにすがりついてワンワン泣いていた。黒いワンピースのラメが取れて、布団の上にキラキラとこぼれ落ちた。

――― ママ、今までよく頑張ったね…痛かった?辛かった?苦しかった?でももう大丈夫だよ…
――― ねえ、ママ、あたしも頑張ったよね?ほめてくれる?
――― ねえ、ママ、でもやっぱりママがいなくちゃ、あたし寂しいよ…

ねえ、ママ、――― あたし、とうとう独りぼっちになっちゃった…
そう感じることが、あたしにとって一番つらいことだった―――

そっと背後に人の座る気配がした。懐かしいにおい。それはもうずいぶん長いこと感じてこなかったにおいだった……
でも――― あたしは敢えて振り向かなかった。たぶん振り向くと、すがりついて泣いてしまいそうな気がしたから。

台所や隣の部屋では、葬儀会社の人や近所の人が入れ替わり立ち代わり、騒がしくしているのに、この居間だけには、静謐で厳粛な時間が流れているような気がした。

たぶん同じことを感じ取っていたのかも知れない。彼が静かに席を立つまで、あたしたちはずいぶん長いことお互いに黙ったまま、同じ方向を見つめて座っていた―――


***


――― 山の頂上にうすい雲がかかっている。この分だと、明日はまた雪になるかも知れない。
葬儀の間だけでもなんとか天気が持ってくれてよかった―――

豊田幸太郎は、窓の外をぼんやり見つめながら、そんなことを考えていた。
この数日間、時間の過ぎるのがあっという間だったような気もするし、とてつもなく長い時間をジリジリと過ごしてきたような気もする。
いつかはこの日が来るだろうと覚悟してはいたのだが、それはあまりにもあっけなく訪れ、そして長い時間をかけて彼の心の中に浸透していった。

テーブルの片隅にある写真を見つめる。それは、沙織が幼い頃、健一も一緒に七五三をやった時の記念写真だった。
「洋子さんと健一と3人で写りなさい、私が撮ってあげるから」と言ったのだが、沙織は
「コウさんも一緒じゃなきゃやだ!」と頑として譲らず、仕方なしに神社の神主さんに頼んで撮ってもらったものだった。

年老いた神主さんで、目がちょっと見えなかったらしく、写真の角度は傾いており、幸太郎自身は少し引きつった笑い顔となっているのだが、それでもみんな幸せそうに写っていた。

――― もし時を戻せるのなら。
それがかなわぬ願いであることは分かっていたが、それでもそう願わずにはいられなかった。

――― 分かったわ。午後の新幹線でそっちに行くから。
母の死を伝えた朝、電話の向こうで一瞬息を飲むような雰囲気がしたが、すぐに冷静に返答した沙織。
出棺の際も、涙一つ見せずに、くちびるを噛みしめてうつむいていた沙織。
たった独りで東京に行き、たった独りで頑張ってきた沙織。
そんな彼女の姿が、痛々しく、哀れで、不憫で…でも、彼にはどうすることもできなかった。

――― もし時を戻せるのなら。
あの写真の頃に、あの幸せだった日々に彼女を帰らせてやりたい…

写真の中の無邪気な沙織の笑顔を見て、ここ数日間必死にこらえてきたものが堰を切って彼の胸を突き抜けていき、それは涙となって彼の頬を伝っていった―――


不意に玄関の呼び鈴が鳴り、彼は慌てて涙をぬぐって席を立った。それは沙織だった―――
「コウさん、いろいろありがとう。あたし、今晩の新幹線で東京に帰ることにしたから。」
そう言って黒いワンピース姿でたたずむ沙織の表情には、やはりここ数日間での疲れの跡がはっきりと見て取れた。
「そんなに急いで帰らなくても…せめてあと一晩くらいゆっくりしていったらどうだい?」
幸太郎は努めて穏やかな声で、そう沙織に語りかけたが、彼女は寂しそうに首を横にふった。

「ありがとう、コウさん。でも仕事もあるし、ちょっと無理。ごめんね。」
「そうか…でもまた7月の灯篭流しの時には帰ってくるんだろう?洋子さんの新盆だから」
沙織は、やはり寂しそうな表情のまま、
「うん……たぶん。ちょっと分からないかな…」
そう言って泣き笑いのような表情を浮かべた。

本当は、いろいろと話を聞いてやりたい、慰めてやりたい、励ましてやりたい―――
でも、どんな言葉をかけても、それは空しく彼女の心を通り過ぎるだけのような気がした。

「じゃあねコウさん、またお墓のこととか、今後のことは電話で相談させて。どうもありがとう」
「……そんな…うん、大丈夫だよ。任せなさい」
思わず泣き声になりそうになるのを必死にこらえて、幸太郎はそう言って彼女の手を握るのが精一杯だった。寒さのせいか、その手はとても冷たかった。

帰り際、大通りに向かって歩いていく彼女の後ろ姿に、
「沙織、健一には会っていかないのかい?」
幸太郎は声をかけた。

沙織はしばらく立ち止まったが、何も言わず黙ってそのまま去って行った。

「沙織…幸せになるんだよ…」
それが、さっき彼女にかけたかった言葉だったのかどうか、幸太郎自身もよく分からなかったが、彼はそう独りごちて空を見上げた。雪が再び静かに舞い落ちてきた――


***


「毎度ご乗車ありがとうございます。この列車は、あさま544号東京行です。途中停車駅は、軽井沢・高崎・大宮・上野です。次は軽井沢、軽井沢、しなの鉄道はお乗換えです」
車内にありふれたアナウンスが響く。長野を出発するとすぐに、新幹線はトップスピードに達したようだったが、周囲はもう真っ暗で、何も見えなくなっていた。

結局、ケンちゃんには何も言わずに出てきてしまった。お通夜の前の日、居間で黙ってそばにいてくれた優しさは、本当に泣きそうになるくらいありがたかったけれど―――でも、あたしはもう彼の近くにいてはいけないと感じていた。
――― バカ、それでいいのよ沙織。ケンちゃんはもう遠い世界にいるの。それに―――
それに、もうあそこはあたしのふるさとじゃない。あたしみたいな汚れた人が行っていい場所じゃないんだ―――

そうやって自分の気持ちを納得させようとすればするほど、あたしの胸はズキンと痛んだ。

新幹線は轟音を立てて、長い長い県境のトンネルを抜けていた。トンネル内の気圧の変化に耳が遠くなり、あたしは思わず顔をしかめる。

――― もしかしたら ―――
もしかしたら、ケンちゃんが長野駅にあたしを追っかけて来るかも知れないという淡い期待もあったが、結局そんなことは起こらなかった―――

人生はドラマのようにうまくはいかないの。本当に…バカ。
もうあなたには――― あなたには雪の降る音なんてぜったいに聞こえない―――

そう思って目を伏せた、そのとき―――

――― ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ
トンネルを抜け、電波が通じるようになったのだろう。きっちり5回、携帯のバイブレーションがあたしのハンドバックの中で響いた。

それは、あたしが待っていた、でも思っていたよりもずっと短い一文だけのメールだった―――

―― 沙織、七夕の灯篭流し、一緒に雪の降る音を聞きに行こう…

――― つづく ―――


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[カバー写真 2009/07/05 大宮駅 この物語はフィクションです]
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夏の雪 ~ 第2章 携帯電話 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

――― 101列車、出発進行!
速度計の横の戸締りランプがついたことを確認した後、前方の信号灯が緑色に点灯しているのを指差しで確認すると、僕は大きな声で発車の合図を喚呼した。

まだ夜も明けやらない早朝、凍てつくような寒さの中、列車のアクセルにあたるマスコンハンドルを回すと、列車は一度ガクンと揺れた後、その重い車体を億劫そうにゆっくりと動かした。
昨晩まで降っていた雪が氷となって車輪にこびりついているのか、いつもより始動にかかる時間が長いような気がする。僕は圧力計の値を注視しながら、車輪が空転しないように慎重にマスコンを一段一段上げていった。

薄暗い構内のポイントを重いディーゼル音を響かせながら通過する。昭和50年製造のJRからの払い下げの車体だけあって、ポイント通過時の揺れがひどい。まあ、さっき出発前に車内を見たら乗客はゼロだったから、関係ないのかも知れないが。

夜明け前の誰もいない街中を通過し、田んぼ沿いの直線に差し掛かる頃、ようやく列車はいつもの速度を思い出したように快調に走り出した。速度計が時速60キロを指したタイミングでマスコンのスイッチを切って惰行運転に切り替える。はるか彼方にポツンと光る緑色の信号灯を指差し喚呼で確認し、僕は傍らの録音テープのスイッチを入れた。
「毎度、長野電鉄にご乗車いただき、ありがとうございます。この電車は各駅停車長野行きです。次は上條、上條。お降りの方は前方のドアよりお降り下さい。」


――― 変わらないものと変わりゆくもの。


機械的な女性のアナウンスが誰もいない車内に響くのを聞きながら、僕はそんなことを考えていた。

遠くの山の端が徐々に白みがかっていく始発列車から見えるこの風景はたぶん、あと百年たっても変わることはないのだろう。でも僕たちの周りの環境は刻一刻と変わっていく。
この列車が合理化のため車掌を廃止し、ワンマン運転を開始したのが5年前。そして来年度は運行本数の大幅減も経営側は計画していると、昨日運輸部長の林さんから聞かされた。
「俺自身もリストラくっちゃうかもな…ダイヤ減らすっていうことは俺らの仕事減らすっていうことだもんな。時代は変わったもんだよ……」
根っからの鉄道マンで、この長電の再建に誰よりも努めてきた林さんはそう言って寂しそうに肩を落とした。


―― そう、みんな変わっていく、いや変わらざるを得ないのだ。
それは田舎から都会に出ていく人たちの多さとも無関係ではないのだろう。

胸にチクンと指すような痛みを感じる。それは2年前からもう何度も感じてきた痛みだった――

――― 明日の朝、上京するから。
2年前のあの晩、玄関でそう告げた沙織の蒼白で悲痛な表情を思い出すたびに、なぜあの日彼女の上京を思いとどまらせることができなかったのか、自責と後悔の念に僕は幾度も襲われた。

脳溢血で倒れた洋子おばさんの容体が思わしくなく、沙織が入院費用を稼ぐために上京を考えていることは、少し前に彼女自身から聞かされていたし、僕がそれに反対していることはそれとなく匂わせていたつもりだった。
子供の頃から一度こうと決めたら譲らない所があり、激高するきらいもあったが、それでも僕がゆっくり諭すと、たいていは納得してくれた。あの日失敗だったのは、突然のことでつい僕自身も頭に血が上って、彼女を叱りつけるように怒鳴ってしまったこと ―― そして、その言い方が彼女を傷つけていたのかも知れないという反省に至るには、やはり僕は若すぎたのかも知れなかった。


「家族でも恋人でもないのに!」

彼女が思わず口走ったその言葉、そして僕の目の前で乱暴に閉められたドアの音は、今でも僕の耳にこびり付いて離れない。

――― お前は洋子おばさんの入院費用を出すだけの経済力もないじゃないか、

――― お前は沙織を説得することもできないじゃないか、

――― そしてお前は……


お前は沙織を幸せにできなかった ――

あの日からもう2年…
2年前から幾重にも僕の胸に降り積もり、遠くにそびえる北アルプスの万年雪のように決してとけることのない、自責と後悔という名の雪が、また今日も執拗に降りかかってくるのを払いのけるように、僕は頭を振って前方を注視した。
列車は間もなく最初の停車駅に近づいていた――

「おーい、遠山!今晩暇か~?久しぶりに飲みに行こうぜ!」
昼の折り返し運転の乗務を終えて、駅近くの詰所に戻ると、昔からの友人で、職場の同期でもある近藤がそう言って話しかけてきた。
「お前、最近元気ないじゃん。だからさ、知り合いの女の子に頼んで合コンやってもらうことにしたんだ。今日は早番だろ。7時から駅前のカラオケ予約してあるからさ…」
相変わらずこちらの都合を聞くことをせずに、自分の思ったことをひたすらしゃべる近藤に苦笑いを浮かべて、その話をさえぎり、
「あ~、ダメだ。今日俺予定あるんだ。悪いな…」
と、わざとそっけなく言い、コンビニで買ってきた弁当を広げた。

「おいおい、そりゃないぜ!いっつも早番の日、早く帰るじゃんかよ!それとも彼女でもできたのか?」
全くデリカシーのない奴だ…内心呆れながらも、努めて表情にそれを表さないようにしながら、
「悪いな。俺もいろいろあるから…」
とだけ答えた。

近藤は少し不満げに口をとがらせていたが、ふいに深刻な表情になって
「お前、まさかまだ沙織ちゃんのこと気にしてるのか?仕方ないじゃないか。彼女もいろいろあったんだろうし…」と慰めるように言った。


優しさは時として人を傷つける ――


狭いこの町では、僕と沙織が幼馴染で仲が良かったことや、彼女の母親が脳溢血で倒れたことなどは周知の事実だった。沙織と別れた翌朝、彼女は始発列車で長野駅に向かい、そこから新幹線か特急列車で上京したらしい。たまたま始発列車に乗務していた近藤がボストンバッグを抱えて乗っていた彼女を見かけており、昼過ぎに何度電話しても電話に出ずに焦っている僕にそのことを教えてくれたのだった。

近藤にしてみれば、彼なりの優しさで教えてくれたつもりだったのだろうが、その時の僕は、彼女が結局この街を出て行ってしまったことに、そしてそれに気づくことも、止めることもできなかったという事実に、ひどく傷つき、ショックを受けていた。

そしてまた今日も、僕はあの日と同じような気持ちになっていた。近藤の顔を見ることもせずに、うつむいたまま僕は
「すまん、そんなことないんだけどな。まあいずれにしても今日は予定あるからダメなんだ。悪いけど他を当たってくれ」とだけ言って、食べかけの弁当を片付け始めた。
近藤はまだ何か言いたそうな表情だったが、僕はそれを無視して足早に詰所を出た。



午後の乗務のため車庫に向かう道すがら、ポケットから携帯電話を取り出した。
画面の端に小さな受信メールのマークがついているのを見つけ、慌ててクリックをしたが、それはいつも配信されてくる地元新聞社のニュースレターだった。

やっぱり今回も返信はないか…
僕はそっとため息をついて携帯をしまうと、再び車庫に向かって歩き出した。朝方晴れていた空は、今はどんよりと曇り、今にも雪が降り出しそうだった。

――― 彼女が東京に出てから、僕は定期的に彼女の携帯にメールを送るようになった。
それは殆ど日記のようなもので、何か人に宛てて書く類のものではなかった。
今日の列車の運行状況や、地元の天気、駅で見かけた野良猫のこと、―― そして時折コウさんや洋子おばさんのことも。

そんなことをつらつらと書き綴るだけのメールに、果たして何の意味があるのか、自分でもよくわからなくなる時があった。そしてもちろん、沙織から返事が来たことは今まで一度もなかった。

それでも時折僕は思うのだ。
もしかしたら、こうやって彼女に宛ててメールを書き綴ることで、僕はあの日彼女を傷つけたことへの償いをしたかったのかも知れない。
そして、彼女が受信拒否もアドレスの変更もせずに、メールを受け取り続けていてくれることが、僕があの日の贖罪を続けていることを、それだけは彼女が認めてくれているのではないか、と。


午後の長野への往復の乗務を終え、林さんに「106列車、異常ありませんでした。」といつも通りの報告をすると、僕は着替えて足早に駐車場に停めてある自分の車に向かった。
冷え込む車内に暖房を入れて、カーステレオから流れるサザンの古いバラード ――いまだにサザンなんか聞いてるのかよ!と近藤にはバカにされているが…―― を聞きながら、僕は車を郊外の総合病院に走らせた。

薄暗い病院の受付で、いつも通り「関根洋子さんに面会に来ました」と言うと、顔見知りの警備員さんは黙って入館バッジを渡してくれた。
別館の3階、個室の病室が並ぶこの場所は他に比べて殊更薄暗く、静かで、まるで海の底にいるかのようだった。
それは、この3階が心身共に安静を必要としている患者、端的に言えば末期ガンの人など治る見込みのない人たちが多く入っている病棟だということとも無関係ではないかも知れなかった。

303号室のドアをノックして開けると、中には珍しく先客がいた。
「コウさん。来てたの…」
「やあ、健一。久しぶりだね。」
コウさんはベッドの足元にある椅子に座って文庫本を読んでいたが、僕が入ってくるのに気づくと、目を上げて優しく微笑んだ。
大学を卒業して就職して以来、僕はわかば園を出て会社の寮に入っていたので、コウさんと顔を合わせるのは、こうして洋子おばさんの病室か、たまにわかば園に遊びに行くときだけになっていた。

僕は枕元の花瓶の花と水を取り換えながら、洋子おばさんの顔を見つめた。
最近少し体の調子が良くなってきたとのことで、先週までつけていた酸素マスクは外されていた。そのきれいな寝顔を見つめていると、本当に今にも起き出してきそうだった。そして、昔子供の頃、夕方遅くまで遊んでいた公園に迎えに来た時のように、ちょっと苦笑いしながら「健一くん、いつも沙織のことをありがとう」と言ってくれそうな気がした。
―― でも、彼女が目を覚ますことはもう二度とないんだろうなということを、僕は何となく感じとっていた。

「リンゴ食べるかい?」
ぼーっとしていたのだろうか、コウさんの声で現実に引き戻されたような気がして、僕はちょっと慌てて、頷いた。

「健一、いつもありがとう。毎週花を替えてくれているのは、健一だろう?」
コウさんはリンゴをナイフでむきながら、穏やかな声で僕にそう語りかけた。
コウさんの声は本当に昔から変わらない。聞いていると、すうっと吸い込まれてしまいそうな優しくて静かな声だった。

僕は、コウさんの問いにあいまいに頷きながら、黙って持ってきた花の枝を切りそろえていった。
コウさんは器用な手つきでリンゴをむきながら、問わず語りに
「洋子さんも喜んでくれていると思うよ。そうそう、この前その話を沙織にしたら、彼女もうれしがっていたよ」そう言ってまた微笑んだ。

僕は思わず手を止めた。沙織のことを思い出させられたのは今日これで三度目だ。
僕はコウさんの方を見ることをせずに、静かに「そう…」とだけ言って、揃えた花束をスッと花瓶に挿した。

しばらくの沈黙の後、僕は
「沙織は元気なの?」と聞いていた。できるだけ感情を押し殺したつもりだったが、コウさんにはそんな僕の気持ちなど、お見通しだったかも知れない。

コウさんは、相変わらず穏やかな声で、
「ああ、先週電話した時は元気そうだったよ。年末には顔を見せにおいでと言ったけど、仕事が忙しいと言ってたからなあ。どうだろうねえ。」
と言ったきり、黙ってリンゴをむいて、僕に差し出した。
僕もそれ以上何かを聞こうとせず、聞きたいことは山ほどあったのだけれど、やはり聞くことができずに口をつぐんだ。
沙織が東京でどんな仕事をしているのか、僕は知らない。多額に上る入院費用を稼ぐのには、いくら東京でも無理なんじゃないかということも感じてはいたが、一体東京でどんな仕事があるのか、東京に友人もいない僕には分からなかったし、コウさんも詳しくは知らないようだった。

沈黙が少し気まずくなり、僕はコウさんが差し出してくれたリンゴを一つ、口に入れた。
リンゴはまだ熟しておらず、少しすっぱかったけれど、寮で一人で食べるそれよりは、ちょっとだけ甘いような気がした。


夕方の回診が始まって、主治医の先生や看護師さんが入室してきたのを機に、僕たちは部屋を出た。
病院のロビーでの別れ際、
「コウさん…」と呼び止めたが、やはりそれ以上何を聞いて良いのかわからず、
「ごめん、何でもない」
とだけ言って、僕たちは別れた。



駐車場への道すがら、僕はまた携帯を取り出し、相変わらずの慣れない手つきで
「本日、朝方晴れのち曇り。東京は4年ぶりの大雪で、電車が遅れていたとニュースで聞く。長電は本日も遅延・異常なし。……夕方、洋子おばさんのお見舞いに行く。元気そうで安心した。」
とだけ書いた。

送信ボタンを押せば、わずか1秒かそこらで、このメッセージが遠く数百キロ離れた、まだ見知らぬ街にいる彼女の携帯電話に届く――
こんなに近くに感じるのに、いや近くに感じるからこそ、途方もなく遠い存在――
その厳然たる事実が、僕は無性に悲しかった。
胸を締め付けられるような痛みに、思わずメールの消去ボタンを押そうとすると、ふと携帯のモニターに雫が落ちてきた。空を見上げると、夕方までやんでいた雪がまた降り始めていたのだった――

……さらさら、さらさら……
とめどなく降り始めた雪の中、静謐な暗闇の中で耳を澄ますと、あの音が聞こえてきたような気がした。
懐かしい音だ。雪の音が聞こえるなんて。こんな感覚になったのは何年振りだろう…もう子供の頃から永いこと感じてこなかったような不思議な感覚だったが、僕の耳には確かに、雪の降る音が聞こえていた。
遠い昔、彼女にそのことを聞いてみたような気がする。あの時はあっけらかんと、「分からない」と言われてしまったけど。

ふと思い立って、先ほど消去しようとしていたメールの編集画面に戻り、文末に
「夜半から雪。」
と書き加えた後、ちょっと迷ったけれど、5行ほど改行して、ぎりぎりスクリーンから見える所に一言。



「沙織…雪の降る音って分かる?」
と書いた。



久しぶりに、本当に久しぶりに彼女に話しかけたような気がして、それは僕に感慨と少しだけの気恥ずかしさを生じさせたが、僕はそのまま送信ボタンを押した。
―― 通信中……送信完了 ――
秒速250キロメートル。新幹線の数千倍もの速さで運ばれる僕の気持ちは、本当にそのままの、僕が届けたいままのすがたで彼女のもとに届くのだろうか……
変わっていく世の中で、変わらずあるもの、いや変わってはいけないものがある。

そう自分に言い聞かせ、携帯の画面を閉じると、遠くの空からかすかに列車の警笛が聞こえてきた。
たぶん8時ちょうどの各駅停車が出発したのだろう。
確かこの列車は近藤の乗務だったはず。今日合コンをやるということは、この列車の運転は誰かに代わってもらうつもりだったのだろうか。まったく、あいつらしい…

僕は苦笑いをし、それから一つ、深呼吸をしてから空を見上げ、
「203列車、出発進行!」
そう大きな声で叫んだ。
                                              ―― つづく ――

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[カバー写真:2011/02/05 釧網本線 北浜駅/この物語はフィクションです]
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夏の雪 ~ 第1章 東京 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

――― 雪の降る音って分かる?
遠い昔、そう聞かれたことがあった。

「え~っ、雪降ってる時に音なんてしないよ!」
夕暮れのいつもの公園。遠くを走る2両編成のローカル列車を並んで見つめながら、確かあの時はそんなふうに答えたんだっけ……?
そう、あれは確か春がすぐそこまで来ている3月のおわりだった。まだ少し茜色が残る夕焼け空から、銀とも白ともつかない不思議な色をした雪の小さなかけらが、少しずつ、それでも絶え間なくキラキラと落ちてくるのを見上げながら、少し寂しそうに笑ったその顔を見て、その時は「何言ってるんだろ」くらいにしか思わなかったけれど。




――― やっぱり今朝も雪の降る音は聞こえなかった。
東京に出て来て初めて体験した雪は、都心では4年ぶりだそうで、昨日の夕方から降り始めたみぞれが、夜半には大雪になったというのに。

変な夢を見たせいだろうか、今朝は家を出るときからついてなかった。
スノーブーツを実家から持ってきておけばよかったと舌打ちしながら、靴箱の片隅から引きずり出したスニーカーをつっかけて出かけたが、焦っていたせいか、駅のロータリーでは危うく転びそうになったし、いつも乗る7時ちょうど発の通勤快速は運休、その後に来た各駅停車も満員で乗ることができず、2本も乗り過ごしたおかげで、会社に着いたのは10時過ぎと大遅刻だった。

いつも何かにつけて「注意」という名の嫌味をあいさつ代わりに言う先輩の石川さんは、今朝は口もきいてくれずに、黙ってあたしを睨みつけるだけだった。
それでもあたしは平気だ。一見すまなそうな顔をして、「すみませ~ん、電車が遅れてて~。挙句の果てに駅でころんじゃったんですよぉ~。エヘヘ~」と膝をさすりながら、いつもの愛想笑いを振りまいた。
予想通り、増田課長が
「いいんだよ沙織ちゃん、今日はしょうがないよね。大雪だったんだし。それよりも足大丈夫?」
といつものいやらしいニヤニヤ笑いを浮かべながら近づいて来て、チャンスとばかりにあたしの足をいやらしい手つきで触ってきた。
あたしは
「あ、かちょ~。だいじょうぶですよぉ。ごしんぱいおかけしまして、ありがとぉございま~す」
といつもの鼻にかかったアニメ声で返事した。増田課長は相変わらずニヤニヤしながら、それでもあたしの足をさわる手はひっこめない。この勢いだと今日はランチくらいはご一緒しないとすまないかも知れない。まあいつものことだし、その程度の「お礼」で済むなら安いほうだけど。そう考えて、あたしはそれとなく課長がさわってる足をスッとひっこめて、自分の席に戻った。
課長がそういう態度だと、石川さんも大声で怒ることができず、あたしが席につくときに小さい声で「遅刻するときは電話くらい入れなさいよ」とちょっと嫌味を交えて注意するのが精いっぱいだった。それもいつものこと―――
そうやって、今日という一日がまたいつも通り始まっていくのだ。
そう、そうやってあたしがいつも通り、ぶりっ娘のふりをしてれば、すべてがうまく行くのだ。
あたしも周りのみんなも――

いつからだろう――こんなふうにうまく生きるすべを身につけてしまったのは。
きっと、あたしがこんなことしてるってコウさんが知ったら、悲しむんだろうな。
コウさんは、あたしが長野の片田舎でどん臭い美容師の見習いをしていた頃しか知らないのだから。
東京に出てからのことは、もちろんたまに電話では話すけど、詳しくは話してないし、仕事を覚えるのに必死としか言ってないから、たぶんあたしが精いっぱい、それこそ「汗水たらして」真面目に働いてると思ってる。

ほんとは、全然違うのに。東京に出てきて、汚いこともいっぱい覚えたし、たくさん嘘の笑顔も振りまいたし、そして――たくさん泣いたのに。


ふと窓の方を見ると、雪はまだ降り続いているようだった。オフィスの窓ガラスは、暖房が効いた部屋の温度と外気温との差で真っ白に曇っており、ほとんど外の様子をうかがうことはできなかったけれど、それでも何となく雪が降っている雰囲気は分かった。

あたしは隣の席の佐々木君に
「ねえ佐々木君、雪の降る音って分かる?」って聞いてみた。
佐々木君はこの前買ったばかりのスマホで――入社したての新人なのに「オレ年甲斐もなく若い人の真似してスマホ買っちゃいましたよ~」って言ってる自称「しっかり者」クンだ。仕事はあたしより更にいい加減だけど――そのスマホでコソコソと彼女にメールをしてた。
だからあたしの質問は全く聞いてなかったみたいで、あわてて
「えっ?関根さん、なんか呼びました?昨日の伝票処理の件ですか?」
とやっぱりトンチンカンなことを言ってきたから、あたしはもちろん笑顔で
「いやだ~違うわよ~。今日のお昼は彼女が作ったお弁当食べるの?って聞いたの~。もう~しっかりしてよ~」
と言った。佐々木君はエヘエヘ笑いながら
「あ、やっぱ分かります~?カノジョ、昨日も夜遅くまでかけて弁当作ってくれたみたいなんスよ~」
と、やっぱり最後までトンチンカンな回答を返してくれた――




――― 新宿にある大手ゼネコンの下請け会社の経理部に勤務し始めて、明日で丸2年になる。
長野の最も北に位置するもう新潟にほど近い小さな町で、美容師見習いとしてママが経営する美容院を助けながら働いていたあたしの運命は、そう、母一人子一人で助け合いながら、ささやかに暮らしていたあたしたちの幸福は、2年前の11月の日曜日にママが台所で突然倒れてから、ガラガラと音を立てて壊れていった。
不幸中の幸いだったのだろうか、その日の夕方は近所に住むコウさん――豊田幸太郎さん。あたしが幼い頃通ってた児童保育施設「わかば園」の園長さんだ――がうちに作り立てのおかずを持って遊びに来てくれていたので、ママが大きな音で倒れたのにいち早く気づき、迅速に救急車を呼んでくれた。
たぶんあたし一人だったら、何もできずに手遅れになってしまっただろう――コウさんの素早い手配のおかげで、ママは一命を取り留めた。
でも――。でもそれがママにとって幸福だったかどうかは、今でもよく分からない。
一命こそ取り留めたものの、急性脳溢血で極度に脳に酸素が不足したママの意識は、結局今日に至るまで一度も戻ることはなかった――

ありとあらゆる治療法が試された。保険のきかない、最新の「電子なんちゃら法」とかも試したけど、結局あの日からママの意識は戻らなかった。
必死に手を握りしめても、どんなに泣き叫んでも、眠ったように――いや本当に眠っていたのだろう――動かないママの姿を見て、それでもあたしは一縷の望みを託して、ママの入院費用を稼ぐために単身上京した。
――もうあれから2年――まるであたしの、いやあたしたちの時間が2年前のあの日から止まってしまったみたいだった。




昼休み、ランチルームでサンドイッチを食べてると、テレビでお昼のニュースが流れていた。
朝のニュースで熱狂したように「大雪の際の、都心の安全システムのもろさ」を強調していたコメンテーターは、今やってるニュース番組では何十年かぶりに日本にやってきたパンダを見て「かわいいですねえ」と満面の笑みを浮かべていた。

――― 本当に都会の人って心変わりが早いんだよね ―――
誰に言うともなく、自分を納得させるかのようにそうつぶやいて、向こうの席の増田課長の姿をにらんだ。
絶対ランチに誘われると思って、11時半に更衣室でルージュを塗りなおしてきたのに、課長は隣の営業部の女の子と一緒に、彼女の「お手製」弁当をご賞味されてるみたいだった。

――― 平気、平気。いつも同伴してくれる社長さんだって、しょっちゅう他の娘指名してるじゃない。
「昼」の勤務時間中は「夜」のことを考えないようにしてたのに、そんなふうに納得させてるもう一人の自分がいることに気づき、あたしは慌ててそのもう一人の自分を追い出すかのように首を振って窓の外を見やった。
相変わらず、窓は曇っていて外の様子が見えないけれど、雪は降り続いているようだった。


「本当によく降るわね…」
不意に後ろで声がしたのでびっくりして振り返ると、石川さんが定食のプレートを持って立っていた。
「隣、いいかしら?」
珍しく、石川さんがランチルームに現れたことに、いやそれよりもあたしの隣に座りたいと言ったことに面食らい、あたしは妙にドギマギしながらもうなずいて席を譲った。

「明日で、もう2年ね…あなた、2年前に社長に紹介されてうちの部に配属されて来たとき、本当に泣きそうな顔してたのよ。覚えてる?」
サバの味噌煮定食という、およそ女子が食べそうもないメニューをもくもくと食べながら、石川さんはボソっとそうつぶやいた。
「そうでしたっけ…?なんか時のたつのが早すぎて、よく覚えてないです…」
「そうよ。私それ見て、本当にこの子大丈夫なのかしら?って不安になったんだから。仕事だってミスばっかり。この子、絶対にすぐ辞めるわ。一人では働けっこない!って確信してたんだから。」

柄にもなく神妙な顔つきをして黙りこくったあたしを見て、少し言い過ぎたと思ったのか、石川さんは不安そうに
「どうしたの?あらやだ、ちょっと言い過ぎたかしら?でも関根さんも最近はよくやってくれてると思うわよ」と一応フォローらしきことを言ってくれた。

「いえ…大丈夫ですよぉ!それにしても今日はよく雪降りますよね~!そういえばホワイトクリスマスじゃないですか!」
あたしはわざと明るく言ってから、「しまった」と思った。けどもう遅かった。石川さんはあたしがその手の話題をあえて振ったと思ったのだろう。
「そういえばそうね…あたしには縁がないけど、関根さんやっぱり、今夜は恋人と一緒に過ごすの?」
よりによって、雪の日のイブにその話題を振らなくてもよかった…やっぱり朝からのツキのなさがたたってるのだろうか…あたしは何か返さなくちゃと思いながらも、結局一言
「恋人なんて……いないです」
とか細い声で答えただけだった。珍しく、本当にあたしにしては珍しく落ち込んだ声になったのを見て石川さんはちょっとびっくりしたようだったが、「そう…」と言ったきり何もしゃべらずに、食べ終わると一人「お先に」と言って定食のプレートを片付けて去って行った。




「沙織が東京なんかで一人で働けるわけないだろ!」
――― 2年前、確かにケンちゃんもそう言った。
3つ年上のケンちゃんこと遠山健一は、小さい頃から兄のような存在だった。幼い頃に両親を亡くしていた彼は、「わかば園」でコウさんに育てられて暮らしていた。ママがいない昼間だけ施設に遊びに来ていたあたしとは、境遇が似ていたこともあり、幼い頃から仲が良かった。持前のわんぱくさで木登りや水泳をやってのけるあたしをケンちゃんはいつも見守ってくれていた。


――― そして、あたしが上京することに最後まで反対していたのも彼だった。
ママが倒れてからそれとなく上京の話をしていたが、ケンちゃんは良い顔をしなかった。あたしのような「世間知らず」の「田舎者」が東京で働くということがとても不安だったらしい。あたしとは根本的に意見が食い違い、いつもケンカになりそうだったので、あたしの方が先にその話を打ち切っていたのだが、覚悟を決めたクリスマスイブの日――そうあの日もこんな大雪だったのだ――あたしは、訪ねてきたうちの玄関先で彼に
「明日の朝の特急列車で上京するから。もう切符も取ったし」
と告げたのだ。

案の定、彼は烈火のごとく怒りだした。
「何言ってるんだよ!俺は散々反対しただろ!!だいたいさ、沙織はいつも無茶すぎるんだよ!東京に行ったって、どれだけお金稼げるんだ?アパート代や食費だってかかるし、それにあんな危ない町にお前一人で暮らすなんて、危険すぎる!考えなさすぎだよ、沙織は!」
「ケンちゃんに何が分かるのよ!それならケンちゃんがお金だしてくれるの!?」
売り言葉に買い言葉で大声を上げたあたしに、彼は一瞬言葉を詰まらせた。
そしてよせばいいのに、追い打ちをかけるように最後の一撃。
「家族でも恋人でもないのにえらそうなこと言わないで!」

―――その言葉を聞いた彼の顔がゆがんだのを見るに堪えなくなり、あたしは思わず玄関の扉を乱暴に閉めた。そして結局、それっきりになってしまった―――本当にそれきり、彼とは連絡を取っていない。





夕方になると、空は相変わらずどんよりと曇ってはいたものの、雪はやんだようだった。
定時を少し過ぎてオフィスを退社したあたしは、新宿駅西口のオフィス街から反対側、歌舞伎町方面に向かった。
道行く人たちは、今日がクリスマスイブということもあり、どことなく浮かれた様子で歩いている。町を彩るイルミネーションは、心が浮き立つように華やかだったが、なぜかその美しい光景は、あたしに道端の、足跡や車の排気ガスで黒く汚れている残雪を目につかせた。
そんなこと考えちゃいけないのに。これからあたしにはもう一仕事残ってるのに。
今日はクリスマスイブだから、あたし目当ての常連さんがたくさん指名して来てくれるはずなのに――

けど、どうしても、どうしてもあたしの心は、今日のこの曇り空のように沈んでいた。
やっぱり、朝、変な夢を見たせいだろうか…それともお昼に石川さんと食事したせいかも知れない…

いや、実はあたしの時間が止まった2年前から、ずっと同じ気持ちだったのかも知れない。
単にそれに気づかないふりをしてただけ…

「あの電車に乗れば、ふるさとの町に帰れるのかな…」
歌舞伎町に向かう途中、高架線を走る通勤電車をぼんやりと見ながらそんなことを考えてると、ふと頬に冷たいものを感じた。空を見上げると、ネオンが赤く光る新宿の空から、白いかけらが再び舞い落ちてきていた―――。

今度こそ、今度こそ雪の降る音は聞こえるだろうか――?
あたしは必死に耳を澄ませたが、届いて来たのはすぐ近くにある家電量販店から流れる大音響の宣伝音楽と、居酒屋の呼び込みの店員さんの掛け声、それに車のクラクションだけだった。



―――やっぱり雪の降る音なんて聞こえないよ。ケンちゃん……



空から絶え間なく落ちはじめた雪のかけらを見上げながら、あたしはそうつぶやいていた――
                                            ―― つづく ――

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[カバー写真:2011/03/27 埼京線 新宿~池袋/この物語はフィクションです]

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あとがき~『記憶のかけら』の出稿を終えて [日々鉄道小景~ショートストーリー]

京浜東北線の車内でのふとした出会いから、呼び起こされる過去の記憶…
勇太の過去にいったい何があったのか…

大変長らくお待たせ致しました。日々鉄道小景~ショートストーリー 最新作「記憶のかけら」、いかがでしたでしょうか?

↓↓まだ読まれていない方はこちら↓↓
http://sekiyu-oh.blog.so-net.ne.jp/2011-02-24

まずは、出稿まで大変時間がかかってしまったことをお詫びしなければなりませんm(_ _)m
しかも、予告編でその週末に出すといっておきながら、更に1週間かかってましたし・・・(笑)
そば屋の出前みたいでしたね・・・(^^;;)

とにかく、今回も難産でした。物語のプロットはだいぶ前から出来上がっていたのですが、後半の箇所、主人公の記憶が呼び起こされる辺りの記載が非常に説明的になってしまい、何度も書き直しています。登場人物も若干異なっていました…
出来栄えとしては、70点くらいですが、今までに出した作品の中では一番小説らしいかな?(^^)

「いつも恋愛小説ばかり書いてますね」と言われたので(笑)、今回は「一応」家族小説を書きました(^^)。
僕もおばあちゃん子で、この物語の一部には自分の経験も含まれていますが、原則はフィクションです。

・・・実はいろいろな心境の変化があり、今回、この物語は出品せずにお蔵入りにしてしまう予定でした。
しかし、何人かの人からの励ましを受け、気持ちを切り替えて無事作品として仕上げることが出来ました。

催促という形で激励してくれた(?)H君、
相談に乗ったり、落ち込んでいる僕の気持ちを聞いてくれたRさん、
本当にありがとう。君たちの支援があったからこそ、この作品は完成したのだと思います。

この物語を読んで、家族とか愛情とかについて再考してもらえたら、作者としては望外の喜びです。
そして出来れば、感想をお寄せいただけると大変うれしいです!
もちろん、「ココはこう書いた方が良い!」とか「こんなエピソードの作品も書いて!」などのご批判、リクエスト、何でも結構です!! コメント欄にはなかなか残しづらいようであれば、以下のメールアドレスか、facebook・mixiでコメントいただいても全然OKです!(facebookにいらっしゃるともれなく、私の本名が分かります(笑))

これからの作品作りのエネルギーにもなりますので、是非よろしくお願いしますm(_ _)m

メール: saitaman0309-blog@yahoo.co.jp
facebook: http://www.facebook.com/kentaro.arai
mixi: http://mixi.jp/show_profile.pl?id=34989982

・・・さて、次回作ですが、回を追うごとに話が長くなっているので(笑)、次回は3部作とします!
話はやはり恋愛ものですが(爆)、もしかしたらピュアな話にはならないかも知れません(笑)
R18指定ものかも!? お子様はご遠慮下さいませ(笑)

現在、鋭意プロット作成&執筆中ですので、完成まで今しばらくお待ち下さいm(_ _)m

それでは!

20110205_015.jpg
[2011/02/05 釧網本線 塘路~茅沼(サルボ展望台より)]

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記憶のかけら [日々鉄道小景~ショートストーリー]

20101106_032.jpg

「え~!その話この前したじゃん!勇太くん、また忘れちゃったの?」
まだ春と呼ぶには少し肌寒い、それでもよく晴れた日曜日の夕刻、京浜東北線が桜木町の駅を発車して間もなく、隣の席の真紀があきれたような声を上げた。電車の中は休日を遊園地などで過ごした家族連れやカップルが多く、車内にはそんな人たちの心地よい疲れと談笑が満ちていた。

「そうだっけ?そんな話したっけかなあ?」
真紀が話題にしているのは、彼女の職場の同僚の話。どう考えても僕には聞いた記憶がないのだが、彼女は頑として譲らない。
「したよ、した!おととい恵比寿で食事してるとき。もう忘れちゃったの?」
そう言われれば、おぼろげながら記憶のかけらがよみがえって来るのだが、依然、それがおとといの話なのか、1か月前の話なのか、彼女の職場の同僚の話なのか、学生時代の友人の話なのか、判然としない。
「そう言われれば、そういう気がするけど…それにしても、真紀は記憶力いいね」
「勇太くんが悪すぎるんだよ!なんでおととい話したことも覚えてないの?もしかして健忘症?」
……相変わらず真紀は口が悪い。気が強く、思った事がすぐに口をついて出てしまうタイプで、時折きつい事も言うが、悪気はなく、そんな所が僕はひそかに好きだったりする。
「やっぱりさ、年齢重ねると脳が老化するっていうじゃない?勇太くんも今のうちから『脳を鍛えるトレーニング』とかやっといた方がいいよ。そうじゃないと、おじいちゃんみたいになっちゃうよ!」
「あはは…そうだね、もっと記憶力が良くならなくちゃいけないなあ」

僕は敢えて間延びしたような声を上げて、目を窓の外に向けた。
窓の向こうには、高速道路の高架線と、その先に雑居ビルの群が、そしてその間から時折夕日がチラッチラッと姿をのぞかせていた。今日はやけに夕日が目に眩しいのは、一日中遊びまわっていた疲れからだろうか。




……「ユウちゃんは、記憶力がいいからねえ」
しばらくウトウトしてしまったのだろうか、ふと懐かしい声が耳に響いてきて、僕は、はっと目を覚ました。隣を見ると、さっきまでいたはずの真紀の姿が見えない。僕はあわてた。今度は寝過ごして、真紀は怒って一人で帰ってしまったのだろうか…?


………それにしても、さっきの声は…


「だって、あんなに分厚い絵本を全部そらでスラスラ言えちゃうんだもの。ばあちゃんビックリしちゃったよ…」
声のする方を見て、僕は起きたとき以上にびっくりして、思わず「あっ」と声を上げた。ななめ前の優先席に年老いた老婆と小さな男の子が座っているのだが、その老婆は僕が高校生のときに亡くなった祖母にそっくりだったからだ。


………小さい頃、僕はおばあちゃん子だった。僕がまだものごころつく前から母はフルタイムで働きに出ており、祖母が母親代わりとなって僕の面倒を見てくれていた。なぜ母は僕が小さい頃から働きに出ていたのか…中学校に入るまで、僕はその本当の理由を知らなかった。


「本当にユウちゃんはすごいねえ…」
老婆は、孫とおぼしき少年の頭をなでながら、優しくそう言って笑っていた。
「ばあちゃん、『きおく』ってなあに?」
「そうだねえ、なんでもよ~く覚えてるってことだよ」
「ふーん…」
男の子は、老婆の言うことを理解したのかしていないのか、所在なげに足をブラブラさせて退屈そうに座席に座っていた。


………いや、あの人が祖母であるはずがない。祖母は僕が高校生のときに心筋梗塞でパッタリ倒れ、そのまま亡くなってしまったのだ。


「でも、この前の『ももたろう』なんてさ、すぐに覚えちゃうよ。だってそんなに長くないんだもの。お父さんが今度買ってきてくれた本は『トムソーヤのぼうけん』っていってね、もっと難しい本なんだよ!でも、ばあちゃんはせっかく僕がその本読んでたのに、なんで急にお出かけしようなんて言ったの?」
男の子は少し不服そうに老婆に対して口をとがらせた。
「そうだったかい、ごめんねえ…。どうしても急なご用があったもんでねえ。でもそんな難しいご本読むなんてユウちゃんは本当にすごいねぇ。」
老婆は、孫とおぼしきこの少年のことが可愛くて仕方がないらしく、またゆっくりと男の子の頭をなでながらそう言った。
ふと、老婆の顔に深い悲しみのような影が横たわったように見えたが、その表情は電車がトンネルに入るとすぐに見えなくなってしまった。


………「お父さん」か…。
父は、僕が幼い時に交通事故で死んだのだと祖母から聞かされたのは、確か小学校1年生くらいのことだったように記憶している。その当時の僕は、「死」というものを正確には理解していなかったかも知れないが、それでもテレビなどで「死」というものがどのようなものなのか、そしてそれが悲しい出来事なのだということを漠然と理解はしていたのだと思う。そういえば、祖母がその話をしたときも、目の前の老婆が見せたような悲しげな表情をしていたような気がする。あの当時は、てっきりそれが「お父さんが死んでしまった」ことを悲しんでいるからだと思っていたのだが。


列車はどこかの鉄橋を渡っていた。老婆はウトウトと眠ってしまったようだ。少年は相変わらず足をブラブラさせながら、何を考えているのか、じっと窓の外を見ている。
遠くの川向こうに、今まさに沈まんとする夕陽が、寂しそうにその最後のひとしずくを車内に投げかけていた。鉄橋のトラスと電車の窓枠によって作られた夕陽の影絵は、鉄橋を渡る列車の規則的なジョイント音とリズムを合わせながら、いつの間にか老婆と少年以外誰も乗客の居なくなったロングシートの座席を何度も通り過ぎていった。


デジャビュ(既視夢)を見る感覚というのはこういうものなのだろうか?
夕陽の影絵がからっぽな列車の車内をスーっと通り過ぎていくその様は、僕の頭の片隅に、なにか遠い日の記憶のかけらを呼び起こしたような気がしたのだが、それはすぐに、僕の脳内という迷路の中に再び行方をくらましてしまった。
やはり、真紀の言うとおり、健忘症なのだろうか?どうして僕はこう大事なことをすぐに忘れてしまうんだろう…


「蒲田~蒲田~東急線はお乗換えです~!」
僕の思考は、電車のドアが乱暴に開く音と、スピーカーから聞こえてくる大音量の駅員のダミ声によって、突然かき消された。
いや、そうではない。開いたドアから息を切らせて乗り込んできた若い女性の姿を見て、僕の思考がストップしたのだ。


「勇太!」


…勇太?…


女性は大きな声で叫ぶと、老婆と少年の方に一目散に駆け寄ってきた。

「おかあさん!」
少年もまた、座席から飛び降り女性のもとに駆け寄って、足にしがみついた。

女性は辺りをはばかることなく、いきなり少年を抱き上げて、強く抱きしめた。
「ああ、良かった!勇太…」
女性は泣いているようだった。一筋の涙が、女性の頬を伝わり、それは抱き寄せている少年の真っ赤な頬にも伝わっていった。

その涙を見て、いやその涙が「僕」の頬を伝わる感覚を思い出し、そして、そのときようやく、僕の脳内に迷い込んでいた記憶のかけらが、一つの形を為して、僕の目の前に姿を現した。
……あの日…僕はお父さんに買ってもらった本を置きっぱなしにして、ばあちゃんに連れて行かれたんだ……


………父は、本当は死んでいなかったということを祖母から聞かされたのは、僕が中学生になった年の誕生日だった。父と母は、僕が幼稚園に入園するまさにその日に離婚届を提出し、正式に離婚が成立した。
離婚理由は「性格の不一致」。と言えば聞こえはいいけれど、父は今でいうDVのような事もやっていたらしい。母が若すぎたということもあり、上手く対応できなかったのも、原因の一つにあったようだ。
いろいろすったもんだがあった挙句、母は身一つで家を飛び出し、幼稚園入園の前日に、ようやく祖母が僕を「取り返し」に父の家に出向いたという話を、祖母は泣きながら僕に語っていた。

……「ごめんねえ、春だって言うのにあの日は寒くてねえ。でもユウちゃんは黙ってばあちゃんについて来てくれてねえ…一生懸命ご本を読んでるのを無理に連れ出すのは、そりゃ忍びなかったよ…本当にごめんねえ…ユウちゃんには悲しい思いをさせちゃったねえ…ごめんねえ…」

何度も何度も泣きながら僕に謝る祖母の顔は、そう、先ほどトンネルに入る直前に少年に見せた悲しそうな表情そのものだったのだ。
……半ば強制的に父親のいない生活を孫に送らせることになってしまったこと、そしてそんな孫に「父親は死んだ」と嘘をついていたことに、祖母はずっと罪悪感を感じていたのだと思う。



………人の記憶というのは不思議なものだ。普段はそんなことを考えもせずに毎日を暮らしているのに、こうやって一旦思い出すと、その当時の記憶がとめどなく堰を切ったようにあふれてくる。

父と一緒に枕元で本を読んだこと。
母が団地の台所でネギを刻んでいた包丁のトントンという音。
父と母と三人でたまに遊びに行ったときの祖母のうれしそうな笑顔。


……そして、父が母に手をあげる瞬間。


少年が母に手をとられて、蒲田駅のホームを歩いていく様子を眺める僕の目から、涙がとめどなくこぼれ落ちてきた。
「こんな、こんなつらい記憶を思い出すなんて!なんで…なんで……」
いつしか、僕は本当に子供のように、大声で泣き出し、その場にしゃがみこんでいたのだった…




……ふと温かい手が僕の背中をさすってくれているのを感じて、僕ははっと顔を上げた。


……懐かしい顔が近くにあった。


「ごめんねえ、ユウちゃん…」
「…ばあちゃん!」
「もう二度とユウちゃんに悲しい思いをさせないって誓ったのに、大人になったユウちゃんにまで悲しい思いをさせちゃったねえ。本当にごめんねえ…」

祖母は少し寂しそうな顔をしながら、僕にゆっくりと話しかけた。

「…なんで僕が勇太だって分かったの?」
「なに言ってるんだよ、ばかだねえ。すぐに分かるよ。ユウちゃんはユウちゃんじゃないか。」

祖母の優しい笑顔を見て、一旦はとまった涙がまたこぼれ落ちてくる。

「ほらほら、良い子だから、また泣いちゃあいやだよ。もうそんなに泣かないでおくれ」
「ごめんね、ばあちゃん。ばあちゃんの方こそつらかったのにね」
「そんなことないよ。でも本当に大きくなったねえ。まあ立派になって…ばあちゃんうれしいよ。」

「ばあちゃん…」
「ん~?なんだい?」
「なんでこんなつらい記憶を思い出さなきゃいけないんだろう…。つらい記憶なんて、全部忘れちゃえばいいのに」

僕は、子供の頃に戻ったかのように、少し口をとがらせて、不満げに祖母にそう尋ねた。

「そうだねえ。その方が楽かもしれないねえ。でもね、ユウちゃん。つらい記憶を背負ってにんげんは生きていくものなんだよ…それにね、つらい記憶を持ってる人は、傷ついた人はね、きっと、きっと人に優しくできる」
「そんな!こんなつらい記憶なんて持ってたら……僕ぜったい人に優しくなんかできないよ!」
「大丈夫だよ…ユウちゃんなら。ユウちゃんは本当に優しい子じゃないか。ばあちゃんずっと見てきたよ。それにさっき隣にいた、かわいらしい女の子はユウちゃんの恋人かい?ほら、ユウちゃんはあの子にもあんなに優しいじゃないか」

そう言って祖母は、さっき少年の「僕」にしてくれたように、優しく僕の頭をなでてくれた。

「……ばあちゃん…」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ…そうだ、おまじないをしてあげようか。ユウちゃん、手を出してごらん。赤ちゃんの頃、こうやってばあちゃんがユウちゃんの手を握ってね、『怖いの、怖いの飛んでけ~!』っていうと、ユウちゃんすぐに泣き止んでくれてね。
ほら、『怖いの、怖いの飛んでけ~!』 どうだい、少しは元気になったかい?」
「あはは…ばあちゃん恥ずかしいよ…もうこれでもいい大人なんだから…」
「そうだったねえ、ごめんねえ。いつまでも赤ん坊のときのユウちゃんのままみたいでねえ」
「…でもありがとう。ばあちゃんに手握ってもらったら、少し元気が出たよ…」
「そうかいそうかい、良かったねえ…」




……列車はいつの間にか、古い小さな駅に停車していた。ホームにぽつんと立つ小さな電灯が、寂しそうに光っている。

「ああ、ユウちゃん、そろそろばあちゃん行かなくちゃいけないよ…」
「そんな!今会ったばっかりじゃないか!いやだよ!行かないでよ、ばあちゃん!!」
「ごめんねえユウちゃん、でもやっぱりもう行かなきゃいけないよ…じゃあねユウちゃん」

祖母は少し寂しげに笑いながら、そう言って立ち上がった。

「ばあちゃん、行かないで!!」
「大丈夫だよ、ユウちゃんはもう一人じゃないから…あの子と仲良く暮らすんだよ…」

列車のドアが、スーっと開いた。

「じゃあね、ユウちゃん。元気でね…」

「ばあちゃん!!」


……だいじょうぶだよ……


次第に遠ざかる声がこだまのように僕の耳に優しく響き、声は一つの音となり、鉄路を行く列車のジョイント音となって僕の耳に届いて来る…

…それはまるで遠い昔、祖母に抱かれて眠っていたときの、優しく背中をたたきながら聞かせてもらったあの子守唄のようであった…


********************


目を覚ますと、電車は市街地を走っていた。外はとっぷりと日が暮れて、家々の明かりが灯り始めている。

傍らではすっかりしゃべり疲れた様子の真紀が僕の肩に寄りかかって、軽く寝息を立てている。
先ほどまで老婆と少年が座っていたはずの優先席には、ギターを担いだ茶髪の高校生2人組が大声で談笑しており、それを近くのサラリーマンが苦々しそうに見ていた。

僕は苦笑いをしながら、もう一度真紀を見たあと、自分の手のひらを見つめた。

たぶん、夢、だったのだろう。
さっきまで祖母が握ってくれていた手の中には、昨日会社の近くでこの日のために買ってきた「それ」を包んだ小さな箱が握りしめられている。
なんたって、給料3ヶ月分だから!なくしたら大変だと、電車に乗る前からずっと手に持っていたのだ。
僕はこれを真紀に渡すことが出来るのだろうか。いや、渡す資格が僕にはあるのだろうか…

遠い日の記憶のかけらの問いかけに

……だいじょうぶだよ……

ばあちゃんの声が聞こえた気がした…


「ご乗車ありがとうございました~まもなく蒲田~蒲田でございます。東急線はお乗換えです~」
普段はテープのアナウンスのはずなのに、今日は久しぶりに「懐かしい?」だみ声の車掌さんのアナウンスが聞こえてきた。

蒲田を過ぎたら、もう間もなく僕たちが暮らす街が見えてくる……

僕は、隣でまだ眠っている真紀を起こすために声をかけようと、一つ大きな深呼吸をした…


[カバー写真 2010/11/06 新橋駅 /この物語はフィクションです]

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2010年 結びの挨拶に代えて [日々鉄道小景~ショートストーリー]

20081229_094.jpg

いよいよ、今年も最後の一日となりました。
皆様は今年一年をどのようにお過ごしでしたでしょうか?

少し個人的なことを書きます。
今年は、年初の引越しに始まり、本当にいろいろなことがあり、私にとって激動の一年でした。
嬉しかったこと、悲しかったこと、さまざまなことを経験する中で、そこには常に人との出会いと別れがありました。

年後半から少しずつ書き綴っている「日々鉄道小景~ショートストーリー」は、フィクションではありますが、そのような多くの人との出会いと別れの中で、私が感じたことやヒントを得たことを基に作成したものです。拙文ではありますが、これを読んで元気をもらっているという方もおり、私の作品に愛着を持って頂けるのであれば、それは作者として望外の喜びであります。

「運命」という作品の中でも少しふれましたが、時折、「自分自身の運命が線路のように決まった筋書きの上を走っていると分かれば良いのに…」と思うことがあります。
どこでどのような人と出会い、別れ、そして自分自身の人生がどのように終わるのか…
自分の心が傷つくたび、「運命が分かっていれば、自分の人生がどんなにか楽になるだろう」と考えたのも、一度や二度ではありませんでした。
でもそのたびに、運命は、分かっていないからこそ、そこに面白みがあるのだと思い返し、その面白みを喜びとして噛み締めることが、ようやく少しずつではありますが、出来るようになりました。

出会った人の中には、苦しい境遇に置かれ私以上に心が傷ついている人、私を傷つけた人、そして私自身が傷つけてしまった人など、いろいろな人がいました。

その一瞬一瞬は、運命を呪ったり、まだ見ぬ将来に不安を感じたりすることもあるかも知れない。でも、雪降る冬の後には必ず春が、夕闇の向こうには必ず朝が待っているように、あなたの人生にもきっと明るい未来が待っている。
そして、その未来を作るのは、運命を切り開いていくのは、他の誰でもないあなた自身なのだということを、僕と出会った全ての人に対する言葉とし、今年の結びの挨拶に代えさせて頂きたいと思います。

今年一年間、どうもありがとうございました。来たる新年が皆様にとって良い一年でありますことを心よりお祈り申し上げております。
[カバー写真 飯山線 森宮野原-横倉]


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約束 [日々鉄道小景~ショートストーリー]

20101204_026.jpg

「大きくなったら、一緒に富士山のぼろ~ね!約束だよ!! ♪指きりげんまん、うそついたらはり千本飲~ます!」
この場所に立って富士山を眺めると、僕はいつも、そう歌っていた彼女のあどけない笑顔を思い出す。

安藤広重もその著作の中で描いたといわれる景勝地、薩多峠(さったとうげ)から眺める富士山は、12月の澄み渡った空の下、駿河湾の遥か彼方にその威容を示していた。
見上げると、どこから来たのか、空には一羽の白い鳥が舞っている。
富士山を眺望できる場所はいろいろあるけれど、ここから眺める富士山が一番きれいだと僕、いや「僕たち」は思う。

ふと、自分の顔にわずかな翳りが見えそうになるのを必死に隠しながら、僕は傍らに立つ志穂に笑いかけた。今日の青空を映し出したような大きな瞳をくるくるさせながら、彼女もまた僕に微笑みかけてくる。

志穂とこの場所に来るのは、もうこれで3回目だ。これといってめぼしい観光スポットがあるわけでもない、あるものと言えば、ミカン畑と遠くに見える富士山だけというこんなさびれた場所になぜ、好き好んで何回も来るのか、彼女はその訳を聞こうともせず、いつも黙って僕についてきてくれた。

「あれが富士山…やっぱり高いね。圭一くん、私たち、あそこに登ったら本当に幸せになれるのかな…」
志穂がこう言うのを聞いて、突如僕の中に古い記憶の傷が、痛みを伴ってよみがえってきた。


……今はもう遠い昔、僕は少女と淡い約束を交わした。
少女は生まれついての難病を患っており、同じように体の弱かった僕と病院の同室だった。
ある時、彼女が母親からもらったという本を見せてもらうと、そこには鮮やかな色彩で川や海などが描かれていた。それが安藤広重の書いた「東海道五十三次」である事を知るのはもっと後になってからだったが、それでもどの絵にも大きな富士山が描かれているのは、幼い僕にも分った。
「わたしね、この絵が好き。けーくん、『さった峠』って知ってる?」
そう言って見せてくれた本の1ページには、山と、海と、そしてその海の遥か彼方に大きな富士山がそびえ立っていた。どうやらそれが薩多峠と呼ばれる景勝地らしかったが、幼い僕にはそんなことが分かる筈もなく、それでも生まれて初めて抱いた恋心と呼ぶにはまだ遠い、気持ちの高まりを押さえようとするかのように、わざとぶっきらぼうに
「知ってるよ!そのくらい。当然だろ!」と知ったかぶりをしていた。

そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は僕のベッドにもぐりこんできて、
「わたしね、この絵が好き。富士山っていろんな所から見えるでしょ。ほら、この病院の屋上からも。でもわたしね、この薩多峠から見る富士山が一番きれいな気がするんだ…」
と囁くようにつぶやいた。確かにこの病院の屋上からも晴れた日には遠くに富士山が浮かんで見えた。でも彼女が言うように、この絵に映る富士山は、他のどの場所から見える富士山よりもきれいな気がした。幼い年齢でそんなたくさんの場所に行ったことはなかったけれど、彼女が言うと確かにそんな気がした。

「ねえねえ、おっきくなったら、一緒に富士山に登らない?」
同じベッドにもぐりこんだまま、彼女が僕の耳元でそう囁いた。
「わたしたちさ、生まれつき体が弱いじゃない?だから友達もできないし、いつも一人ぼっちだし、一人じゃ何もできないんじゃないかなあって悲しくなる時があるの。でもね、もしけーくんと一緒に富士山に登ることができたら、きっと幸せになれるんじゃないかなって思うの。ね!約束しよ!!はい、指きりね! ♪指きりげんまん、うそついたらはり千本飲~ます!」
彼女の突然の提案になのか、それとも彼女を思いの外、近くに感じたからなのか分からなかったけれど、僕は胸をドキドキさせながら指きりをした後、また、わざとぶっきらぼうに
「そんなのわかんね~よ!それに俺そんな弱くね~し。ほら、いつまでここにいるんだよ!看護婦さんにまた叱られるぞ!」と怒ったように言ってそっぽを向いた。

彼女はちょっと悲しそうな顔をして自分のベッドに戻ったが、それでも布団から首だけだして、ニコっと笑いながらもう一度「約束したからね!」と言った。


…………だが、約束は果たせなかった。
その晩、容態が急変した彼女は集中治療室に運ばれ、その10日後、息を引き取ったという話を僕は看護婦さんから聞かされた。
幼い僕には、恋とか、愛とか、そして死だとかいうことがどういうものなのか、全く理解できていなかったけれど、それでも「喪失」という2文字は僕の胸に深く突き刺さっていた。彼女が息を引き取ったその晩、僕は生れて初めて、自分のためではなく、他人のために、彼女の喪失を想って、泣いた。


……それからおよそ20年の後、僕は三度、彼女との約束の地に立っていた。
小さい頃弱かった体は、今では風邪さえ引くことも殆どなくなった。
来年の夏、「僕たち」は初めて富士山に登る。志穂にはまだ本当の理由を話していない。

それでも。ふと、彼女は何もかも知っているのではないかと、思うことがある。
志穂と似た名前の少女と、幼い頃淡い約束を交わしたこと。
その約束を僕は果たすことができなかったこと。
志穂が少女と同じような境遇に生まれ、同じように富士山に登って幸せになりたいと願っていること。
そして……
僕が志穂のことを少女の生まれ代わりのように感じていること。

そんなことをぼーっと考えながら、顔を上げた時、突然強い山風が吹きつけてきた。
志穂が足元を取られ、倒れそうになったので、僕は慌てて手を引き、思いがけず彼女の瞳を真正面から見つめることになった。
その瞳の中に遠くに浮かぶ富士山が映っているのを見た瞬間、僕は気付いた。

違う。僕は過去に生きてはいけないんだ。
志穂は他の誰でもない、志穂自身であって、誰の生まれ代わりでもない。
他の誰でもない、志穂だからこそ、僕は彼女を愛しているんじゃないか。
そして、他の誰でもない僕と志穂との幸せのために、僕たちは富士山に登るんだ。

僕たちの運命は、過去にも未来にもない、今この時にしか存在しないのだ、ということを遥か悠久の時を越えてきた不死の山、富士山が教えてくれているような気がした。

僕は志穂の手を強く握って、「来年の夏、一緒に富士山に登ろう。そして、僕たち一緒に幸せになろうね。約束だよ……」とつぶやいた。
志穂は少し戸惑いながらも、こくんとうなずいた。

握った手を離さずに、僕たちは一つになった二つの手を前に差し出した。まるで、富士山が僕たちの手の中にあることを示すかのように。それは、どんな困難も乗り越えて見せるという僕と志穂との強い意志の表れだったのかも知れない。

どこまでも青い空、そこを舞っていた一羽の鳥はいつの間にか姿を消していた…
ふと、別れを告げるかのような甲高い鳴き声が聞こえた気がしたが、それは眼下を走る貨物列車の鳴らした長い汽笛だった……



[カバー写真 2010/12/4 東海道本線 由井~興津 この物語はフィクションです]

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